「相談相手」なのか「敵」なのか

ターゲットになる人間というのは、 「辛い」けれども「離れられない」という 共依存に陥っている場合が大半です。 ところが、その「離れられない」という 自分に対して無自覚である場合、 離れられないのではなく、自分が望んで 離れないのだというような理…

自己愛性人格障害者は別れを選択できない

自己愛性人格障害者というのは 自分が被害者になりきらなくては 生きていけません。 なりきらなくては、というのは 本人はそもそも本当の被害者だと 思っているのですが、 モラハラ思考というものの自覚が生まれると 「自分は被害者だと思い込んでいた」 と…

なぜ、自己愛性人格障害者から離れられないのか

自己愛性人格障害者からターゲットが離れられないのは、 ターゲットにとって 自己愛性人格障害者からの「愛」を得るのが 人生最大のテーマといっても過言ではないからです。 そして、なぜ愛を得ることが人生最大のテーマなのか? と問われると、 被害者気質…

「努力」だけでは人生どうにもならない

努力、というのは 青年期まではある程度役に立つ言葉ですが、 あるときから、努力だけではどうにもならないことも あるということを悟らされる時期がきます。 というのも、 「このまま努力をし続けていると 自分のエネルギーが枯渇してしまう」 「努力だけで…

現実逃避の心理とは

自己愛性人格障害者ほど 現実逃避の心理が強くなくても、 基本的に人間というのは 現実を「そのまま見る」能力がありません。 人は、誰かがひそひそ話をしていると 「自分を見て笑っている」と感じたり、 不愉快な気持ちになることは少なくありません。 誰か…

「自分のせいなのだ」と思わせる

自己愛性人格障害者は、 被害者が「自分のせいなのだ」と感じる 方法を熟知しています。 「あなたの責任だよ」と直接的に言わなくても、 ため息をついたり、それと同時に 自己愛性人格障害者が無視をしたり不機嫌な様子を 見せるならば、 被害者は「あ、自分…

自分の価値は他人しだい

被害者気質の人というのは、 自分の存在価値を相手に委ねて生きています。 相手から認められなければ、 それはすなわち自分には存在価値がないという ことになります。 ですから、相手から指摘をされたりすると 「とんでもない失敗をしでかした」と とてつも…

それは、自己愛性人格障害者の課題である

被害者気質の人にも程度があって、 本当は自分が利用されているだけだと わかっているのに、なかなか精神的に離れられない人から、 まるで他者の課題を自分が遂行するのが当たり前であり それだけ自分は人のために働くのが好きなのだ!と 自分の中の偽善に気…

異常心理の始まり

心理防衛とは、 人の精神状態の均衡を保つために 必ず必要な、人間すべてが持ち合わせている システムです。 この、 「人間すべてが持ち合わせている」と いった部分が非常に重要で、 モラハラという状況に陥るのは この心理防衛が過剰に働きすぎた状態とい…

自己愛性人格障害者のSNS

自己愛性人格障害者というのは 必ずしもSNS上で 自己顕示欲満載の情報を 載せるわけではありません。 この人がナルシシスト?と疑問になるくらい 淡々とした文章だけを書き連ねることもあります。 被害者意識が強そうな文章をネットに上げているとき という…

暴力を「躾」と称する理由

暴力は躾とは異なるものですが、 では、どこからが躾でどこからが暴力なのか? ということは誰も明確にすることはできません。 つまり、その暴力が果たして躾であるのか、 はたまた虐待であるのかは 誰も線引きできないということでもあり、 しかし暴力と躾…

優しい「けど」モラハラ加害者?

モラハラ加害者に関して表現をするときに、 うちの人は優しい「のに」モラハラっぽい言動をするとか、 優しい「けど」自己愛性人格障害者の特徴に当てはまるとか、 そういう文脈になりがちです。 けれども、その特徴があるからこそ、つまり 相手に「優しい」…

過干渉は共感性の欠如

過干渉という言葉がありますが、 過干渉は立派な虐待に当たります。 ですが、過干渉の多くはその問題点が 露見されにくいものです。なぜなら、 過干渉をする者の多くが巧妙に 「これは愛から行っているものである」と 主張するからです。 たとえば、ここでい…

暴力はしつけではない、と理解できない

暴力をしつけだと思っている人に、 「暴力はただの暴力であって、 しつけではありませんよ」と ただ言葉で何度教え込んでも 意味はありません。 暴力をしつけだと思っている人は、 それを信念として持ち合わせていたりするし、 そもそも暴力というものをふる…

自己愛性人格障害者がターゲットに望むこと

自己愛性人格障害者が ターゲットに望むことは、 「ターゲットであり続けること」です。 モラハラをやめさせてくれるように 助けてくれること、ではありません。 モラハラというのは、 自己愛性人格障害者が心の苦痛をやわらげるために行う 非常に重要なシス…

周囲が無能な人間に感じる

基本的に、周囲が無能であるとか 無知である、愚鈍であると考えるのは 「自分をどうにかしてくれない怒り」からです。 人は自分が無力であると考えるとき、 その自分自身への卑下を軽減させるために 「いや、無力なのは自分ではない。 自分はこれほど辛い思…

モラハラは快楽

自己愛性人格障害者は依存に陥りやすいのですが、 モラハラも実際には依存と変わりありません。 人への責任転嫁というものは 自分を守ってくれます。 自分の責任というものから目をそらせて くれるのです。 そして、ターゲットが自分の責任を すんなりと背負…

依存性を高める思考

依存性を強める思考があります。 それは、「自分はダメだ」という感覚です。 特に、依存状態に陥っている自分を 自覚していてもしなくても、 劣等感が強い状態にある人などは 「自分はダメだ」 「価値のない人間だ」と思い込みやすく、 それがより依存状態と…

多弁になるとき

自己愛性人格障害者が 多弁になるときというのは、 自分を正当化したいとき(何かをごまかしたいとき)、 責任を回避したいとき、 そして相手を非難したいときです。 その気持ちが強いほど、 口数が多くなり、饒舌になります。 彼らに限らず、 人が何かを誤…

早口でまくしたてる

自己愛性人格障害者は、 普段は寡黙な場合であっても、 人を批判するときやパートナー、ターゲットに対して 説教をしようとするときは 早口で畳みかけるようにして 追及します。 相手に反論させないため、 というような見方もありますが、 実際には「相手が…

「一人」を嫌がる

自己愛性人格障害者というのは、 一人で居続けることができません。 それは、人に笑われることや孤独であると思われることを 恐れて、というだけではありません。 ただ、一人にならなくても済むような 状況になっていることも非常に多いです。 一人暮らしを…

毒親の愛

毒親というものは、 自分の支配欲や攻撃欲というものを 「これが愛だよ」と言う風に 誤魔化して子供に伝えるほかありません。 そして毒親は、 それを「ごまかし」だと気づいていない状況が 非常に多くあるでしょう。 つまり、自分の見せかけの愛というものに…

自己愛性人格障害者と一緒に生活するということ

自己愛性人格障害者に対して 許さない、絶対に復讐してやると思っていながら 一緒に生活している人というのは、 その時点で自己愛性人格障害者を「許している」 ことになります。 これは少なくとも、 自己愛性人格障害者にとっては、です。 彼ら自身が、依存…

自己愛性人格障害者は恋愛できない

自己愛性人格障害者は、恋愛できません。 自己愛性人格障害者と交際や結婚をしている、また 過去にしていたという人達は分かるかとは思いますが、 彼らはある時は情熱的に、ある時は嫉妬深く 被害者に対して強い執念を見せます。 恋愛上手といってもいいくら…

「なんとも思わないの?」という言葉

自己愛性人格障害者は、 「人としてどうかと思う」と直接的に言うよりも、 「あなたはこういうことをしているんだよ」という言い回しをして、 「それって、人としてどうかと思わない?」という 問いをターゲットや周りにし続けます。 例えば、 自己愛性人格…

口先だけで行動に移せない人

口先だけの人、というのは 意外と多いかとは思います。 口先だけの人、と思われている時点で、 その人自身が結構な頻度で 「大きいことを言う割には、行動が伴わない」 「計画的にこなすような口ぶりでいながら、 スケジュール通りに動けない」 というような…

口先だけで心配したふりをする

自己愛性人格障害者は優しい、 と評されることがあります。 あれだけ優しい言葉をくれるのだから、 自己愛性人格障害者などではないのでは? と思う被害者も多いと思います。 彼らも何も、 「とても心配しているんだよ」と 棒読みで声かけするわけではないの…

優しいからモラハラじゃない?

よく聞く、被害者のセリフがあります。 「自分の夫は、優しいからモラハラとは 違うと思います」。 「優しいときはものすごく優しいし、仕事熱心だし、 子煩悩だから、 本当はとても繊細で、ただ傷つきやすいだけだと 思うんです」。 ここで注目しなくてはな…

束縛する心理

束縛する心理とは 自己愛性人格障害者の支配を語るとき、 束縛という行為は切っても切り離せないくらい よくあることです。 彼らの場合は行き過ぎた束縛になり、 被害者は行動を制限されたなか(というよりは被害者が 自ら行動範囲を狭めるようにコントロー…

人は依存しないと生きてはいけないのか

依存とはなんなのか 自己愛性人格障害者を見るときに、 「依存」というキーワードは必ず出てきます。 しかしこの依存というワードは、必ずしも 自己愛性人格障害者だけに当てはまるものではありません。 依存というのは、「他人やものに何らかの効果を期待す…