優しいからモラハラじゃない?

よく聞く、被害者のセリフがあります。

「自分の夫は、優しいからモラハラとは

違うと思います」。

「優しいときはものすごく優しいし、仕事熱心だし、

子煩悩だから、

本当はとても繊細で、ただ傷つきやすいだけだと

思うんです」。

 

ここで注目しなくてはならないのは、

それではそこまで優しいと評される夫や妻のことでなぜ

そこまで悩まなくてはいけないのか?ということ。

 

そして、「優しい」「子煩悩である」と評価される

元はどこにあるのか?ということ。

 

実際に見ていて子供の世話を頻回にし建設的な

子育てをしている、そういう行為を実際に

夫や妻が行っているのであればそれは

子煩悩である、といってもいいかもしれません。

 

第三者から中身を見ても誰もが

「ああ、本当に子供のことが好きで、

子供のことを一生懸命考えているんだね」と

評されるであろう行いをしていれば、です。

 

ところが被害者の訴えのなかでの

「子煩悩」というのはかなり間違った認識であることも

往々にしてあります。

 

教育に関して熱心に主張していたり

妻の育児に対してやたらとダメ出しをしているだけなのに、

子育てに実際には関与しない。

あるいは勉強だけ教えて子育てをした気になっている。

 

「仕事熱心である」という部分に関しても、

実際に自分の仕事仲間に対する批評はするが、

自分の成果はからっきしである。

仕事に関して壮大な夢を語っていたり社会の厳しさを

常々口にしているが、実際には仕事面でいうと

トラブルメーカーであり煙たがられている。

あるいはほとんど収入を得ていない。

 

そういう人間であるのに、

「自分だったらもっとしっかりやる」

「あなたやみんなの適当さが許せない」という

台詞だけを信じて、

「この人は教育熱心な人だ」とか

「仕事に対して並々ならぬポリシーを持っている」とか

そういう印象を被害者がただ持っているだけの

場合が多いのです。

 

そして優しさというのも、

休日遊びに連れていってくれる、とか

優しい言葉をかけてくれる、とか

そういった理由なだけであることが多いのですが、

優しさも含めてモラハラといっても過言ではありません。

優しさを見せないモラハラ加害者はまずいません。

 

もちろん、優しさという行為をどんどん

減らしていく自己愛性人格障害者はいます。

優しさというのはコントロールの一種でしかありませんから、

そういうコントロールの方法が必要ないような

被害者の場合はさっさとただ罵倒して

コントロールさせるだけのほうが手っ取り早いからです。

 

ですが、モラハラのほとんどは優しさを交えながら

行われていくものですから

優しいからモラハラじゃない、

教育熱心だからDVとは違うと思う・・・という

評価は事実とは異なるものです。