毒親の愛

毒親というものは、

自分の支配欲や攻撃欲というものを

「これが愛だよ」と言う風に

誤魔化して子供に伝えるほかありません。

 

そして毒親は、

それを「ごまかし」だと気づいていない状況が

非常に多くあるでしょう。

つまり、自分の見せかけの愛というものに

気が付かない故に毒親となってしまっているのです。

 

「これこそが、愛なんだよ。

愛とは厳しいものなんだよ、

これはあなたのための行為なんだよ・・・」

という嘘を吐きながら、理想を押し付けてきたり

やりたいことをやろうとします。

 

ところが子供に、「愛とはなんたるか」の基準などありません。

それを教えるのは親の役目なのですが、

そういう毒親がそばにいると必然的に、

「ああ、これが愛なんだ」とその支配を愛だと

信じ込むほかないのです。

 

それがその子供の悲劇の始まりであり、

多くの場合はその毒親と同じような道をたどります。

「いいや、あんな親と同じ道には進みたくない」と

思っているかどうかは別として、

「尊敬するあの親のようになりたい」と思っていても

「あんな親は嫌だ」と思っていても

自然と同じような形の愛を自分の中に

取り込んでしまうのが子供です。

 

そこから抜け出すというのは至難の業で、

「どうにかしてこの生きづらさ、

生きていることの罪悪感を取りたい」と

苦しみもがいていたとしても

もがけばもがくほど、自分の劣等感に苛まれるのが

子供です。

 

そして、そういう子供というのは

自分が与えてもらえなかった愛情というものに

幻想を抱き、

完璧な愛を求めて「この人間でもない」

「あの人間でもない」と出会いと別れを繰り返しては

ありもしない完璧な愛を求め続けるか、

子供のころに受けた支配という愛を

本当の愛だと妄信してしまい、

支配欲の強い人間の愛を疑うことなく

支配され続ける被害者となってしまいます。

 

あるいは、あらゆる攻撃に対して

過敏な反応をせねばならない被害妄想を抱えた、

「支配者」側にもなってしまいます。

 

毒親の愛というのは、

被害者を生む原因にも、加害者を生み出す原因にも

なりえるということです。