それは、自己愛性人格障害者の課題である

被害者気質の人にも程度があって、

本当は自分が利用されているだけだと

わかっているのに、なかなか精神的に離れられない人から、

まるで他者の課題を自分が遂行するのが当たり前であり

それだけ自分は人のために働くのが好きなのだ!と

自分の中の偽善に気が付かないまま

それが生きがいになってしまっている人から

様々です。

 

前者はコントロールからすり抜けることもできるでしょうが、

まず自分が人の課題を横取りしてしまうのか

気が付いてもいないですしそれが

自分の承認欲求を満たすきっかけになってしまっているから

その中毒、つまり依存からなかなか離れることが

出来ません。

 

そういう人は離れようと思うことすら

しないでしょう。

なぜなら、自己愛性人格障害者のモラハラを

「仕方がないな」と言いつつも、

なんだか他者の責任を押し付けられてもそれを

自分の課題であると勘違いしてせっせとこなし、

それだけが自分の価値になってしまっている。

 

そういう段階まで来ると、

まず、自分が「人の課題を横取りする」ということを

正当化してしまうこと、そしてそれ自体が

自分自身を守っていることにもなりますから、

モラハラで苦しいはずなのに、他人から「なんでまた戻るの?

あんなに辛いって言ってたのに」なんて言われると、

「だって戻らないと、飢え死にさせるわけにはいかないじゃない」

という反論になってしまい、

「相手を救っている自分に価値があり、見捨てるなんて

人として価値がない」という基準になってしまいます。

 

それは、

「自分がどういう行動をとったら

相手から価値があると判断されるか」

という被害者自身の見捨てられ不安に基づいた行動に他なりません。

 

相手がどうやって生きていくかは相手の課題であり、

自己愛性人格障害者が「見捨てられたからもう自分はダメだ」

なんて言っても、それは脅しにすぎません。

見捨てられようとするストレスをどうにかしないといけないのは

自己愛性人格障害者自身です。

 

仮に脅しではなかったとしても、

それは被害者には本来どうしようもないことです。

 

そこで自己愛性人格障害者のために動くのは、

「自分が不要なものと思われないための、

その場しのぎの行動」でしかありません。