自己愛が強い人の恋愛

自己愛傾向が強い人は恋愛でうまくいかない

自己愛傾向が強い人とは

自己愛傾向が強い人は、

自己愛的側面が強いということですが、

具体的にどういう意味を示すかというと、

 

「正常な精神発達の過程が為されなかった」

ということです。

 

正常な精神発達が為されるということは、すなわち

自我の確立がなされるということですが、

それは「自分と他人は別存在である」という認識と、

自分が自分視点であるように、他人にも他人の視点がある

という認識がなされるということでもあります。

自我の確立が「共感」を生む

この認識がつまり、共感性というものを人に持たせます。

人の気持ちというのは誰にも分からないはずなのに、

自分視点でこの物事を感じるならば辛いであろうから、

きっとこの人も辛いだろう。と疑似体験をするような感覚に

陥るのが、共感です。

 

それは、「自分視点」と「他人視点」があるという

認識がなくては生まれない感情です。

当然のことながら、自我の確立が為されず、

他人と自分の境界が定かではなく、

自分と他人の思考や感情がごちゃごちゃになっているような

境界性人格障害者や自己愛性人格障害者に

「共感」という感情の働きは生まれません。

 

共感力が全くない

自己愛が強い人というのは、共感しているフリというのは

非常に上手です。

ところが、共感という感情がどういうものかがピンときません。

パーソナリティ障害レベルになってくると、共感という感情が

どういうものか分かっていない、ということすら認識できないでしょう。

 

しかし、この共感性のなさが両者間の齟齬をきたし、

さらにパーソナリティ障害だと「相手が共感してくれていないことにすら、

全く気付かず、自分は共感性の高い人間だと信じて疑わない」

「他人に共感できないことになんの疑問も抱いていない様子である」

というような交際相手や結婚相手の新たな悩みを作り出すことになります。

 

また、距離感があまり近くない間は共感性が高いような

思い込みだけではなく、実際にそういう素振りを見せるような

態度も多くなりますが、

一緒にいる時間が長ければ長いほど、距離が近くなればなるほど、

相手と同化するような形になり、

「ちょっと疲れた」といえば「自分のせいだと言いたいのか」

「自分のほうが疲れている」とアピールしたり、

「だから何?」という答えが返ってくるのが当たり前になるでしょう。

 

与える能力がない

自己愛傾向が強い人というのは、

何より他人の犠牲を欲したり、賞賛を欲したりします。

どんなにみっともない自分でも受け止めてほしいし受け止めるべきである。

という考えを持つ人もいます。

ところで、こういう人達は、自分は自己犠牲の塊であるとか

犠牲精神が強いと思い込んでいることが非常に多くあります。

 

しかし、他人に何かを与えた、施した実績というものがほとんど

ないのも特徴です。

ですからその犠牲精神というものは、湧いて出てきたようなものであり

どこにも根拠はないのが特徴です。

欲しがるだけ、助けてほしいだけ、支えてほしいだけであるのに、

さも自分も「自分だったらこういう状況になっても

人を助けるのに」と自分の犠牲精神を引き合いに出し、

人が動かないのを非難します(それは直接的であったり、

心の中で思うだけであるのが違う形で急に爆発したり

と様々です)。

 

与えられることを欲しすぎているのと、

それが「当たり前」であり、むしろ与えられなかった場面を

注目し、「あの時、ああしてくれなかった」という

恨み言を言い続けることもしばしばです。

 

距離が近すぎる

自己愛が強い人というのは、交際相手と常に一緒に

いたがります。

恋愛感情が生まれるときに作り出される快楽物質に

依存しやすく、とにかく快楽を求めようとします。

また常に一緒にいないと不安になり、一緒にいたいからというよりは

相手の行動を逐一把握し、見ていないと気が済まないから

会いたい、話したい、一緒にいたいと強く感じることが多く、

それゆえ実際会ってみるとそこまで強く楽しめないといったことも

よくあります。

距離感が近すぎるということもあまり気づきにくく、

「恋人同士なのだから一緒にいて当然」

「一緒にいられないなんて、何かやましいことがあるに

違いない」

「自分に対して、気持ちが薄れてきているのではないか」

「いつも一緒にいたいという気持ちを持って当然」

というような感情が、常に自分の中にあってコントロールできないというような

事態にもなります。

 

「恋人」「配偶者」に対しての期待値が高い

自己愛傾向が強い人は、

自分の快・不快の感情をコントロールしてほしい、

するべきであるという期待を自分ではなく他人に行います。

自己管理能力が低いからです。

口では「人は一人で立たなくてはならないのだから、

親から早期に自立するべきだ」と言いながら、

いつでも、父母になんとかしてほしい、親がずっと

自分の精神的な・身体的な世話をするべきだという感情にとらわれている人も

います。

そういう人は、親の代わりに恋人や結婚相手に自分の身体的・精神的な

世話をするべきだと考え、その役割を無意識的に押し付けます。

 

ですから寂しい思いをさせたなら、その寂しい思いをさせていることを

言わなくても気づき、すぐにその不快さを取り除くことを

望みますし、

そもそも寂しい思いをさせていること自体がおかしいと思うべきだ、

許せない、恋人ならばそれくらい気づくべきだ、おかしいと怒りさえ覚えます。