「相談相手」なのか「敵」なのか

ターゲットになる人間というのは、

「辛い」けれども「離れられない」という

共依存に陥っている場合が大半です。

 

ところが、その「離れられない」という

自分に対して無自覚である場合、

離れられないのではなく、自分が望んで

離れないのだというような理由づけを

執拗にすることがあります。

 

自分を苦しめてくる相手から離れられないような

「未熟な人間」「同類」なのではなく、

相手は本当は優しいのだ、

愛し愛されているのにそれがこじれているだけなのだ、

という言い分です。

 

それが顕著に表れるのが

「第三者に相談したとき」です。

 

共依存の自覚がない人というのは、

「自分がこれだけのことをされて辛い」と言うから

第三者が想いを汲んで

「別れなよ」と言うにも関わらず、今度は

まるでそういう相談者を何もわかっていないと

言うかのように

「いや、あの人はこれだけ優しい面があるのだから」

「自分はこうするしかないから」と

パートナーの擁護や自己弁護に移ります。

 

相談された相手は一体、

自分に何を求めているのか、

ただのノロケであるのなら真面目にアドバイスした

自分がバカみたいだ・・・と思うのですが、

ターゲットはターゲットの被害者体質ゆえに

そうなるのは仕方がなく、

相談された相手も相談された以上はなんらかの答えを

出すしかないのでこういう形になるのが当然です。

 

「別れなよ」と言っても

「いや、そういうのはどこの家庭でもあるよ」と言われても

「この人は自分の気持ちをまるで分かっていない」と

なってしまいがちなのは、

 

結局「自分と相手」以外は外界であり自分たちの世界には

入り込めない人達である、と

ターゲットも思い込んでしまう傾向にあることを

表しています。