「なんとも思わないの?」という言葉

自己愛性人格障害者は、

「人としてどうかと思う」と直接的に言うよりも、

「あなたはこういうことをしているんだよ」という言い回しをして、

「それって、人としてどうかと思わない?」という

問いをターゲットや周りにし続けます。

 

例えば、

自己愛性人格障害者とターゲットが

夫婦だったとして、

ターゲットに、「自分はこれだけあなたに配慮してきたのに、

あなたはこっちの事何も考えていないんだなあって

思って悲しくなったよ」

と言うだけで(そう言われるだけの事実があろうとなかろうと、

言うだけで、というのが重要です)、

 

「(自分って、人としての配慮が欠けているのかな?

愛がないのかな?)」

と、思わせます。

この、「ターゲット自身が、そういう風に思ってしまう」

というのがモラハラの仕組みの難解なところで、

自己愛性人格障害者が強制しているというよりは、

周りがそのモラルハラスメントに乗っかってしまうのが

特徴なのです。

 

つまり、ターゲット自身が、自分自身を追い詰めるのに

加担してしまっているということになります。

 

そして例えば自己愛性人格障害者が第三者に、

「ねえ、自分の夫(妻)はこういう人間なんだよ、

ひどいよね」

と直接的に言うよりも、

「自分は夫婦関係をどうにかして保ちたいと

思っているんだけど、

どうにも距離を置かれてしまっていて・・・。

なんだか仲良くしている異性がいるみたいなんだよね。

その人に気が移ってしまったのかな?」

という趣旨の話をぽろっとしてしまえば、

 

「え!何それひどい!」

と、第三者が勝手にターゲットに対して

評価を下げてしまう、そういう仕組みです。

 

「この人は、こういう人間なんだけど、

こう思うよね?」

という仕組みを自己愛性人格障害者は巧みに利用します。

つまり社会通念とか、常識とかモラルとか、

「こういう人間は、絶対こうだよね」とか

そういう社会の通説、空気のようなものです。

 

空気を読もうとすればするほど、

そういう人間であればあるほどモラハラの術中にはまり、

ターゲットになってしまったり、

セカンドハラスメントをしてしまったり、

モラハラ加害者の取り巻きになってしまったりします。

 

「なんとも思わないの?」と言われてしまうと

「ああ、まあ、そうだよね、おかしいよね」と

なってしまうのが世の中の常ですから。