人格障害ということにこだわらなくていい

自分が被害者であるかどうか?

という事を気にしている人に

何度もしつこいくらいに

声を大にして言いたいのは、

 

自分は自己愛性人格障害の

ターゲットになっているから

別れたほうがいいとか、

 

相手は人格障害などではないなら

自分が悪いということだから

別れられないとか、

 

そういうことをいちいち

気にしていることそのものが

問題であるということです。

 

つまり、相手は

人格障害であるから

やはり相手が悪いのだ…とか

こんな発言はしていないから

きっと人格障害ではない…とか、

 

こういうサイトを見て

内容を確認して

自分の恋人や配偶者と

照らし合わせている以上、

 

とにかく辛いと思っている

自分がいて、

交際や結婚生活に

違和感をぬぐえない自分がいる、

 

ということが事実として

あるはずですから。

 

相手が人格障害でなければ

離婚しない方がいい、

というわけでもありません。

 

相手が人格障害でなければ

自分が間違っていて

自分が改めなくてはならなくて、

 

一生添い遂げるべきだ。

というわけでもありません。

 

どちらが正しくてどちらが

間違っているのか、

ということに執着すればするほど、

 

辛いと思っている方は

辛いと思っている自分自身を

無視したまま、

自分が辛いと思うこと自体が

間違っているのではないか?

ということへの確認作業を

繰り返すしかなくなります。

 

しかし、

その確認作業は大体が

辛いと思っている自分への戒めでしか

ありません。

そういう人はただ、変化するのが

怖いだけです。

 

正しいか正しくないかではなく、

そもそも自分が傷ついているという

事実を再認識しましょう。