被害者が怒るのは当然です。

自己愛性人格障害者との対峙だと、

どうしても被害者が強い怒りを感じる瞬間というのは

多くなってきます。

 

「怒ってもどうしようもない相手なのに怒り狂ってしまう」

というのは、

被害者自身も怒りによって自分の権利を守ろうとしている、

いわゆる正しい怒りの表出といえます。

 

あまり正しい、正しくないの観点で記事を書くと

「何が正しくて、何が間違っているか」という

自己愛性人格障害者が好む論争そのものに

戻ってしまうようで好ましくはないのですが、

 

ここでは「被害者が怒り狂っていても、

自己愛性人格障害者の心理に近づくわけではないから

大丈夫」

「それは正しい怒りです」

ということをお伝えしたいので書いていきます。

 

 

自分を守るための怒り

人が怒る理由には主に4つあって、

 

1.支配したいから

2.優位に立ちたいから

3.自分の権利を守りたいから

4.正義感を発揮したいから

 

という理由が挙げられます。

 

自己愛性人格障害者も、

これらの理由によって

怒りを表出させているということになります。

 

ところで、

被害者がモラハラをされたり

彼らから一方的に非難されたときに、

怒りを覚えたり言い返したりするのは大抵が

 

3.自分の権利を守りたいから

 

ということにつきます。

 

自己愛性人格障害者は他人との境界が曖昧ですから、

被害者の踏み込んではならない領域にまで足を踏み込み、

その場を荒らしていきます。

侮蔑もその一つです。

 

 

 

明らかに言ってはいけない事柄を、

「言ってはいけない(被害者が深く傷つく)であろうから

敢えて言う。

そこを何度も突く」

ということをしがちですから、

一方的に罵られて「怒りはムダ、これに怒りまくれば

自己愛性人格障害者と一緒なのだから」

 

と菩薩のように無心になることは、

嵐が過ぎ去るまで待つには有効ですが、

被害者自身の心は確実に蝕まれ、

ストレスはたまる一方です。

 

自己愛性人格障害者は一気に攻撃性を解放させて

ストレスを発散させますが、

受けた側の被害者はストレス発散の場がありません。

 

それなのにさらに

「怒ることは悪いことだ」と責めてしまうと、

被害者の心身はさらに疲弊してしまいます。

もちろん、自己愛性人格障害者に怒りをぶちまければ

それ以上の報復が待っていますから

合理的ではありません。

 

ですので、被害者はまずは「自分が怒りを覚えるのは

当然のことなのだ」

という認識を持って、

かつ何らかの形でストレスは発散していく

必要があるでしょう。