自己愛性人格障害者は危険人物である

自己愛性人格障害者というのは、

境界性人格障害者に並ぶ危険人物といえます。

 

もちろん、程度としては境界性人格障害者のほうが

重たいといえますが、

衝動的であるというところと見境なくなるという

意味では、

自己愛性人格障害者もかなり危険です。

 

自己愛性人格障害者は特に、

自分が正しいと思った場合には

相手の非をとにかく並べ立てて

攻撃してきます。

 

そして自分が正しいと思えるような状況は

いくらでも作り上げられますし、

自分がいつでも報復してもよい

被害者であるという思い込みの準備は

出来ているのです。

 

ですから、

被害者がいくら痛い目にあって

逃げ出したとしても、

自己愛性人格障害者にとっては

自分を裏切って騙して逃げ出した

卑怯者に他なりません。

 

その危険性が高まるのは、

自分を投影していた相手が

自己愛性人格障害者の意に反して

逃げ出すときや、

自分の意にどうしても染まらないときと

いえます。

 

そういうとき、

自己愛性人格障害者の中でどういう心の

働きが起きるかというと、

「何とかして思い通りにさせてやらねば」

「何とかして、こいつが間違っていることを

思い知らせてやらねば」

という動きです。

 

こう思っているとき、

自己愛性人格障害者は非常に危険な行動に

移ります。

こういうとき、自己愛性人格障害者は

物理的な攻撃を及ぼすことも、

その結果相手がどうなろうと

それは相手の責任であるという

心持ちでいるからです。

 

だからこそ、自己愛性人格障害者は殺人や

殺人未遂を犯したとしても、

「自分のせいではない。

殺されても仕方ないほどのことを

相手がしたからだ」

という言葉しか出てこず、

まったく反省していない様子をみせます。

 

被害者がどれくらい辛い思いをしたかなどというのは、

自己愛性人格障害者自身には関係のないことです。

なぜならそこから目をそらせるのが

自己愛性人格障害者の特徴だからです。

 

被害者に逃げる正当な理由があったとしても、

自己愛性人格障害者はそれを認めません。

 

被害者が自己愛性人格障害者の思い通りにならないと

いうのは、

自己愛性人格障害者が危険な行動を表面化させる

一つの要因となりえるのです。