自己愛性人格障害の逆ギレ

自己愛性人格障害者はよく

「逆ギレ」を起こします。

逆ギレというのは、

自分が悪いところを指摘されたにも

関わらず、

それを反省することもなく

怒り出すということです。

自己愛性人格障害者は、

「自分が悪かった」

ということに気がつくことが

ありません。

そして、

「人を不愉快にした」ということにも

気がつくことがありません。

自己愛性人格障害者が

悪いところを

いくら温和に指摘されようと、

それが他人を不愉快にさせ、

それをやめてほしいからこそ

悪いところを指摘されている・・・

とは思わないのです。

 

第三者から見ても

どうみても自己愛性人格障害者が

悪くても、

それでも自分が悪いから

指摘されたのだ、とは

思いません。

自己愛性人格障害者にとって

自分の悪い点をみることは

できませんから、

それは「相手が悪意を持って自分の評価を落とそうと

している!」

という判断しか出来ません。

つまり、自己愛性人格障害者が

指摘されて当然の物事でも、

とにかく逆ギレする仕組みになっているのです。

 

だって、

自分のやっていることに何一つ

悪いことなんてないのです。

自分のやっていることはすべて

正しいことのはずですから。

それを指摘などされようものなら、

その指摘してくる人間は

正しい自分にいちゃもんをつけてくる

悪意のある人間・・・ということになります。

そもそも「すべて正しく、

間違いのない人間」などと

自分のことを評する人間も

大概だとは思いますが、

自己愛性人格障害者は間違いなく

「自分をそう評している人間」

なのです。

 

ですから、

自己愛性人格障害者にとって

逆ギレは当然です。

しかし自己愛性人格障害者は

それを「逆ギレ」と呼ばれるのも

嫌います。

なぜなら、最初に書いたとおり、

逆ギレというのは

自分が間違っていること、あるいは

自分が人を不快にさせることをしていて

それを指摘されているにも関わらず、

それを反省もせずに怒り出すこと・・・・

だからです。

 

自分はただ

正しく生活していて、

それなのに急に悪意ある人間が

自分の非を捏造するために

口を出し始めている。

そうとしか考えません。

逆ギレなどといわれる

筋合いはないのです。

ですから「あなたが悪いのに

それは逆ギレだろう」と

言っても、

自己愛性人格障害者は

意味が理解できません。

逆ギレだといわれれば

余計に火がつくでしょう。

 

そうやって被害者は、

どんどん小さな指摘さえも

出来ず、

自己愛性人格障害者にやめてほしいことを

話し合うことすらできず、

ずっと胸にとどめておくことしか

出来なくなるのです。