自覚のなさの特徴

たとえば、

あなたが誰かに

メールを数度送ったとします。

 

普通、気になっている相手や

大事な相手であれば

「この時間帯に送って大丈夫なのか」

「この内容で問題はないか、

相手を傷つける言葉は使っていないか」

そういう要素が入っていないか?

必要以上に気にすることもあるかもしれません。

 

自己愛性人格障害者はもちろん、

そういうことは気にしません。

 

では、相手から指摘された場合はどうでしょう。

 

「この時間帯はメールをしないでください」、

「今は会議中なので返信できません」

「そういう内容の話を送ってこないでください、

迷惑です」 

 

たとえば、これがビジネスの相手であれば、

自己愛性人格障害者はこれを考慮するかもしれません。

赤の他人だからです。

 

ところが自己愛性人格障害者というのは

ターゲット、近しい人間に対しては

これを考慮することが出来ません。

 

とくに切羽詰っているときは

自己愛性人格障害者は相手の都合など

余計に考えません。

 

指摘されても、

それを自覚できないのです。

 

自覚できないどころか、

指摘内容が図星であればあるほど、

自己愛性人格障害者は反発します。

 

「いや、内容が間違っているのではない、

お前のその意見自体が間違っているのだ」

 

つまり、

誹謗中傷の内容だったりが文章中に含まれていても

それが間違っているのではなく、

そういうことを言われるようなことをしている

お前自体が間違っていて、

これは誹謗中傷ではなく正当な主張だ。

 

という意識に摩り替えられるので、

人を傷つけているという自覚は

一切出来ません。

 

 なぜ、これだけ傷ついているということを

伝えているのに理解できないのか?

なぜそういう行動を度々繰り返し

それを再三指摘しているにも関わらず

まるで響いていないのか?というと、

彼らの心は「図星を言われている」ということを

考えることを避けるからです。

 

ですから指摘されていることを

スルーしたり、

まるで指摘されているようなことを

自分がやっていることは丸々棚に上げ、

なかったことのようにして

話を摩り替えてしまいます。

 

そしてそれを何度繰り返したとしても、

自覚が生まれないのが大きな特徴ともいえるでしょう。

 

たとえば人は失敗すると、

その失敗がストレスになるから

何度も繰り返さないように

対策を練ります。

 

ところが自己愛性人格障害者というのは、

自分がやったことを失敗とは思えないので

(失敗をするような自分と向き合わなくては

ならなくなるため)、

その修正をしようとするよりも

他人の失態であるとする作業に没頭したり

自分は失敗をするような人間ではない、

という考えを刷り込むことに必死で、

 

自分の招いている問題であり

永遠の課題であるということを

認識しないまま暮らしていくのです。