被害者は、知らず知らずのうちに自己愛性人格障害者を攻撃している

タイトルとおりなのですが、

被害者というのは実は

自己愛性人格障害者を先制攻撃しています。

 

被害者は、

「なんで自己愛性人格障害者は

急にキレ出すのだろう?」

と思っていたり、

「なんでこんな些細なことで

瞬間湯沸かし器のように沸騰してしまうのだろう?」

「なんで人殺しのごとく犯罪者扱いされたり

罵られなくてはならないのだろう?」

と思うでしょう。

 

しかし、

自己愛性人格障害者のなかでは間違いなく、

先制攻撃を仕掛けてきているのは

被害者のほうです。

 

たとえば被害者が

旧友と1日どこかに遊びに行ったとしましょう。

 

自己愛性人格障害者は、それだけでも

「自分に喧嘩を売っている」

と思い込みます。

 

あるいは、

被害者宛の宅配物が届いたとしましょう。

自己愛性人格障害者はそれだけでも

「自分だけ買い物を楽しみやがって」

「自分だけ得しやがって」

と思うこともあるのです。

 

その宅配物が

自己愛性人格障害者の欲しいものであれば

なおさらでしょう。

 

そういう場合は、

夫婦なのだから共有するべき、

とまるで共有するのが当たり前であるかのように

被害者に対して言うことがあります。

 

被害者に拒否権はないのです。

 

自己愛性人格障害者がなにか集中しているときに

その宅配物が来ようものなら、

馬鹿みたいな買い物しやがって

浪費家と結婚したのが悪かった、

こんな時間帯に来るなんてと

騒ぎだすこともあるでしょう。

 

被害者にとってはただ宅配物が

届いただけでも、

それは、自己愛性人格障害者にとっては紛れもなく

「被害者から邪魔された」ことに

他ならないのですから。

 

被害者は、ただ普通に生活しているだけです。

しかし自己愛性人格障害者というのは、

自分中心にしか物事を考えられませんから、

自分の思い通りにいかないことはすべて

「悪」であり自分に対して向けられた

敵意であるとしか考えません。

 

そして被害者の自由や権利というのは

認められません。

認めれば、自己愛性人格障害者は被害者に対して

攻撃もなにも出来なくなってしまうのですから。

 

ですから被害者が少し自由にするだけでも、

自由な時間を持つだけでも、

自己愛性人格障害者にとっては

「お前と自分は同じ存在ではない、

自分のほうが貴重な時間を持っている」

と攻撃してきているのと同じなのです。