現実との乖離

自己愛性人格障害者というのは

現実を見ることができませんし、

事実をそのまま捉えることが出来ません。

 

相手が、自分のために働くことが出来ないというのは

相手が相手の人生を歩まなくてはならないからであり、

自己愛性人格障害者自身が自分の人生の尻拭いはしなければ

ならないはずですが、

自己愛性人格障害者にとって依存する他人が自分のために

働かない、というのは

その相手からの攻撃とみなします。

 

被害者やパートナーからすると、

自己愛性人格障害者のお世話をしている余裕は

ないだけなのですが、

自己愛性人格障害者はそういう現実は

非常に不愉快であり不都合な真実でしかありません。

 

「わざと」自分に配慮しない、

「意図的に」自分に対して放っておくような

態度をとる、

そういう風にみなします。

 

すべて被害的な目で世界を見てしまうのです。

 

それは、自己愛性人格障害者が

「自分を中心に世界は回っている」

と感じているかのように振舞う基盤となります。

 

ただ相手は事実を話しているだけなのに

それが自分に対する攻撃、マウントのように

感じてしまう。

 

些細なことでさえ、自分に関連付けてしまう。

 

世の中の「常識」と、

自己愛性人格障害者の「事実」「常識」が

乖離する瞬間でもあります。