自己愛性人格障害者が苦手な相手

自己愛性人格障害者は、

どういう相手が苦手か?といっても、

苦手な相手にはそもそも近づこうともしませんから、

自己愛性人格障害者がいかにも

「苦手だな~」という様子を見せるような

相手はいません。

 

強いていうならば、

「自我がはっきりと確立している人間」

というのは自己愛性人格障害にとって

厄介ともいえる相手でしょう。

 

自分はこうだとはっきり好き嫌いを主張し、

自分のことをよく理解している人間。

 

そういう相手というのは自己愛性人格障害者にとって

苦手なタイプといえます。

また、こういう人は絶対に自己愛性人格障害の

ターゲットとはなりえないでしょう。

 

その人自身も、自分主体で物事を考えますから

自己愛性人格障害者の「相手のモラルを悪用する」ような

手法も

「うだうだうるさいぞ何がモラルだ、

知ったことじゃないわ」と一蹴できますし、

必要以上に罪悪感を持つことがまずありませんから、

自己愛性人格障害者を嫌だと少しでも思ったなら

その人自体が自己愛性人格障害から

さっさと離れようとするからです。

 

そして自己愛性人格障害者自身も

「自我が確立しているような人間」というのは、

「自分もこいつも同じ存在」と思えません。

 

相手の自我が、

自分を投影させるにはあまりにも邪魔だからです。

自分の意見を言ったら、

譲歩してくれるような相手であり

自分の自我を押し殺してでも自分に合わせて

くれるような人でないと

自分を投影することは難しいのです。

 

そういう相手でないと、

モラルハラスメントは通用しませんから。

 

ですから、自分が「こういうのって人としてどうかと

思うよね」というモラルを唱えたときに、

「確かにそうだよね」とか

そういう意見をまじめに述べるような相手は

自己愛性人格障害者にとって攻略が得意な相手と

いえます。

 

 

これが最初から「そんなのどうでもいいけど」

といってしまえるような相手だと、

自己愛性人格障害者はその人の前で

特別な自分になることが出来ず、

相手も自分と同じ存在だとも思うことが出来ませんから。

 

あとは、自分に明らかに興味がなさそうな人間も

苦手です。

興味がないということはすなわち、

その相手にとって自分は価値がないということですから、

それを現実として間のあたりにするのは

自己愛性人格障害者にとって受け入れがたいことなのです。

 

ですから、そういう現実(人間)は、

出来るだけ自分の目の前から最初から

排除しようとするでしょう。

 

逆に、自分を敵対視してくる人間とか、

そういう相手は自分に対して「興味を抱いている」

と判断し、攻撃対象となるかもしれません。