虚言癖がある

虚言癖というのは、

事実ではないことをさも事実で

あるかのように、

何度でも嘘をついてしまうその人間の性質のことです。

 

人格障害者の虚言癖とそうでない人の嘘の

何が違うかというと、

人格障害者の虚言というのは妄想に近いところが

ありますので、

言っている本人もそれを言っている瞬間は

嘘だと思っていない点にあります。

 

現実的に真実は一つしかありませんから、

それ以外の答えは全部嘘ということになりますが、

それでも人格障害者が発する虚言というものと

現実とのすり合わせが出来ず、

結局自分が言っていることは嘘ではなく

本当だ、ということしか考えられないのです。

 

そのために現実の認識を捻じ曲げてしまったりするのも

自己愛性人格障害者の特徴ですね。

現実を見て、自分の間違いを修正する・・・のではなく、

自分の間違いを絶対的に正しいと思い込んで、

事実自体をなかったことにしたり

捻じ曲げたりするのです。

 

大体は、自分の主張を通したいから

それに都合のいい状況を作り出して

それがさも事実であるかのように言ったり、

 

自分の虚栄心のために

自分の過去や自分の関係する状況を

誇大的に話したり、ですね。

 

そしてそれは一時的にそう嘘をつかざるをえない

わけではなく、病的なものですから、

何度でもそういう嘘をついてしまいます。

 

そしてそう何度も嘘をついているということさえ

自己愛性人格障害者は理解できないし

そういう事実を直視できません。

それを指摘すれば、こいつは揚げ足をとろうとしていると

逆に反撃されたり、

意味のわからないことばかり言って、

とはぐらかされるだけでしょう。

 

自己愛性人格障害者というのは

現実を認識できない障害ですから、

そこはどうしようもないのです。

 

そもそもそういう嘘をついたり、

自分自身にも嘘をつかなければ、

立派な自分にはなりませんし

自分のミスを他人のせいにもできないわけ

ですからね。

 

自己愛性人格障害者はいつも

「あいつはいつも自分の足を引っ張って・・・・」

なんて言っていますが、

自分の能力の低さとミスを他人のせいに出来るからこそ

自分はすばらしく能力のある人間で

ただ足を引っ張られているだけ、ということになります。

 

自己愛性人格障害者はある程度自分の虚栄心を満たすため

だけの努力はしますが、

しかし自身の「それだけ大きな責任もしっかりとれて

愛にあふれていて能力があって間違いも一つもない人間」

という理想の自分のレベルが高すぎるので、

どうしても努力だけではそこにはたどり着けません。

しかしたどりつかなくては自己愛性人格障害者は

生きている価値がないということになりますから、

 

どうしてもそういうミスひとつない人間に

なるために、

自分がしたミスではなく

他人がしたミス、

あるいは誰かがわざと作りだして自分に

なすりつけようとしたミス、

という嘘が必要になってくるのです。

 

いわゆる正当化というものですね。

しかし自分がとにかく正しいのだ!

という思い込みを強化させるために

相手をそれだけでも間違っている悪人と

貶められますから、

酷い嘘を平気でつきます。

 

そしてそれは自己愛性人格障害者にとって

生きていくための大切な作業ですから、

それが嘘だと認めることも

指摘されることも嫌うでしょう。

 

明らかに第三者からみても

現実とのつじつまが合わずおかしい話で

あるのにも関わらず、

自己愛性人格障害者はそれでも

自分が嘘をついていることを

最後まで認めません。

それでもいいのです。

自己愛性人格障害者は、自分の中でだけつじつまが

あえばいいのですから。

 

そういう意味でも、自己愛性人格障害者というのは

身勝手で自分勝手であるといえるでしょう。