自己愛性人格障害者の「攻撃性」

自己愛性人格障害者の攻撃性というのは

支配欲と同じ程度になります。

 

支配欲と同じというのは、

思いどおりになってほしい欲、

コントロールしたい欲ということですね。

 

もっと詳細に表現するとするならば、

「思い通りになるべき」という考えということになります。

 

自己愛性人格障害者のモラルハラスメントの

被害がどんどん進んでいくと、

攻撃性もどんどん同じように高まっていくのは、

被害者がある程度モラルハラスメントに支配されていて、

そのたびに自己愛性人格障害者の思い通りになるように

動かされていて、

 

「思い通りになるべき人間」として見られていて、

自己愛性人格障害者の思い通りになるべき、という

考えもどんどん強固になっていって、

そういう人間がちょっとでも思い通りにならなかったりすると

一気に攻撃性(コントロールされるべきだろお前は、

わからないやつはこうだ)が高まる。

 

ということになります。

 

特に、自己愛性人格障害者というのは

自分の責任を他人のせいにしますから、

そして他人のせいだと本気で思い込みますから、

自分のプライドを傷つけられたと思い込み、

よけい攻撃性が増します。

 

自分のせいではないという思い込みを自分の中で

強化させる作業をすればするほど、

相手のせいだ、周りのせいだ、あのせいだこのせいだと

どんどん怒りが増殖していくわけですね。

 

こうやって、自己愛性人格障害者の

怒りが増し、

攻撃性もどんどん高まっていきます。

 

そして自己愛性人格障害者は思い通りになるべきだろ、

ということほど裏切られたときに

余計このように

「なんでこんな風になるんだ!」

という気持ちになりますから、

 

他人からみればどうでもいいような、

まあそんなこともあるだろう、

というような感情の切り替えが出来ません。

 

これも、どうでもいいような些細なことで

強烈に怒り、攻撃性が増す原因ですね。

 

そしてその攻撃性を表出する、

実際に現実的に相手に攻撃(相手を言葉で罵ったり

脅迫したり、危害を加えたり)することで

相手をコントロールしようとします。

 

 

たとえば怒りの原因がコントロールできないような

ものの場合でも(渋滞だからといって

ドライバー一人ひとりを攻撃しているわけには

いきませんものね)、

この怒りを被害者がどうにかしろという意味合いで

車の中で暴れだすこともありえるでしょう。

 

攻撃というのはいろいろな分類があって、

自己愛性人格障害者の攻撃というのはとにかく

強制させるため(攻撃することで相手をどうにかしたい)に

発動されるのですが、

自己愛性人格障害者の中では、自己防衛のために

やっていると思い込んでいます。

 

自己愛性人格障害者はたとえ自分が渋滞に引っかかって

腹を立てていたとしても、

自分はもう少し時間をずらしたかったのに

あいつのせいだ、と被害的意識になり、

さらに自分が小さなことで腹をたてるような人間だと

思うこともできないので

「わざと自分をいらだたせるためにこの時間帯に

出るようにしたのだ」

まで思いますから、

 

自己愛性人格障害者は自分が他人に先に危害を加えられて、

自分が攻撃するのは正当防衛だ、

と思っています。

 

こういうものを敵意的帰属スタイルというのですが、

他者が悪意がないにも関わらず自分がくらった損失を

すべて他人の悪意のせいだと思い込み、

自己愛性人格障害者はこのシステムのため

より被害者の関係のないところで怒っていても

なにもかもを他人のせいにし

被害者のせいにし怒りをぶつける・・・

ということになります。

 

しかも、自己愛性人格障害者の考える尊大な自分というのは

実体がありません。

 

当たり前ですね、尊大ですばらしくミスもしないなら

その人は人間でなく神でしょう。

ですから自己愛性人格障害者の考える自分は

実体がないので、ただの理想です。

しかし自己愛性人格障害者にとってはそれが

本当の自分だということになっていますから、

どうしても現実との乖離が生まれます。

 

ですから、現実を見ている被害者や第三者が

「現実のとおりに」発言すると、

自己愛性人格障害者は途端に自分を格下にみているとか、

自分を蔑んでいるとかそういう考えにいたりやすいのです。

 

そして現実を伝えているだけの被害者に

「なぜ、配慮をしないのだ!」と

何度でも怒り狂うことができます。

 

自己愛性人格障害者というのは、ありとあらゆる場面で

攻撃性というものが生まれやすい環境におかれている、

といえます。