自己愛性人格障害者は無責任である

自己愛性人格障害者は

無責任です。

責任がとれないからこそ、

とる能力がないからこそ

自己愛性人格障害といえます。

 

責任というのは

ストレスがかかることですね。

ですがその責任をこなすことこそが

人生における大事なことなのです。

特に社会人にとっては

役割をいろいろと担いますから、

当然責任というものは

伴ってきます。

それを、普通の人は

感覚的にわかっています。

自分は無責任だな、

と本当に思っている人というのは

まず責任をとるような場面に

寄り付きません。

責任をとらされるのが

面倒と思っているからです。

しかしそれは

自分の責任回避能力を認めていて、

「責任はとれないから

そういう場面には近づきません」という、

一種の責任をとっているともいえます。

 

しかしこれが自己愛性人格障害者だと

話は違ってきます。

自己愛性人格障害者は、

自分が「責任をとる能力がない」

ということは絶対に認めたくありません。

むしろ、そういう責任や重圧に

つぶされずにがんばっている人間、

として生きていきたいし

そうしているつもりです。

ですから、

責任が生まれるような事柄に

自分から近づいていきます。

それなのに、

肝心の場面で責任がとれない、

ということになるのです。

 

責任をとる能力が

心に備わっていないからです。

結果無責任な発言を繰り返し、

責任をとらないにも関わらず、

やはり自分の能力を過大評価し、

同じような重責をまた担おうとし

肝心なところで責任はとらない・・・

ということを繰り返してしまうのです。