自己愛性人格障害者への接し方

自己愛性人格障害者の接し方として

気をつけないといけないのは、

被害者の心構えといっても

過言ではありません。

 

被害者の心構え次第で、

自己愛性人格障害者からの攻撃というのは

10にもなりますし

50にもなりますし

100にもなります。

 

自己愛性人格障害者に対する接し方というのは、

「自己愛性人格障害を改善させるための

接し方」と考えてはなりません。

 

あくまで、

被害者が必要以上にダメージを受けないための

接し方、として考えなくてはなりません、

そうでなくては自己愛性人格障害の改善ばかりに

気をとられて、

あれをしてもだめ、これをしてもだめ、というように

いろいろ試行錯誤していくうちに

気がつけば何年も経過していた・・・という

羽目になります。

 

まず、自己愛性人格障害者を

「人である」と思わないことです。

 

急にハードルの高いことを言っている、

道理に外れているというような風に

感じる人もいるでしょう。

 

しかし、

自己愛性人格障害者は「道理」を食い物にして

生きる人たちです。

被害者が道理に拘れば拘るほど、

その道理を逆手にとって攻撃してくるのが

彼らです。

それが嫌なら、道理に拘ったり

いい人ぶっている余裕はありません。

 

自己愛性人格障害者の被害者はあくまで、

自分が生き延びる術、

息を吹き返す術を考えなくてはなりません。

 

この「自己愛性人格障害者への接し方」

を気にする時点で、

自己愛性人格障害者と付き合いはじめとか、

自己愛性人格障害者に引っかからないように

事前に調べておく、ということはしないでしょう。

 

自己愛性人格障害者への接し方に対して

気にするということは、

すでに自己愛性人格障害者の被害に

相当遭っていることのほうが多いのですから。

 

もちろん、自己愛性人格障害者の付き合いはじめに

接し方に気をつけるなんてことは

しないでしょうし、

そんなに早い段階では自己愛性人格障害に

気づかないでしょう。

 

ですから自己愛性人格障害者との

「付き合い始めの接し方」というのは

注意することもないでしょうが、

八方美人、自分のない人間、

あるいは愛を欲している人間、

必要とされることに執着してしまう人間などは、

 

自己愛性人格障害者のターゲットにされ、

接し方をどうしようと

自己愛性人格障害者からのモラルハラスメントが

エスカレートするだけです。

 

ターゲットになれば、

接し方がどうというよりも

どういう形で接しようと

モラルハラスメントはエスカレートしていきます。

 

その速度が速いか遅いかは

その自己愛性人格障害者の特性や、

精神状態の変化、

被害者の状況により変わってくるかもしれません。

 

自己愛性人格障害者からの攻撃というのは

被害者が優しかったり優柔不断だったり、

過剰適応しようとすればするほど

ダメージが大きいのです。

 

特に自己愛性人格障害者は無慈悲な攻撃を

繰り広げます。

被害者の評判をどれだけ落とそうと

どれだけ酷い言葉で罵ろうと

反省することはないのです。

ですから、自己愛性人格障害者をまず

「きっと情のかけらはあるはずだ」と

信じないようにしましょう。

 

信じるのは自由なのですが、

それで傷つくのは間違いなく被害者のほうです。

 

そして、自己愛性人格障害者が

攻撃をしているとき、

何か必ず理由をつけます。

自己愛性人格障害者というのは攻撃する

名分がなければ攻撃できないのです。

 

その理由はいくらでも述べられます、

いくらでも理屈付けて説教のように

被害者に訴え続けることができるのです。

 

しかしその理由を被害者自身が

信じてはなりません。

自己愛性人格障害者は怒りを被害者にぶつけるために

もっともらしい理由を見つけたり、

作り出したりするのです。

時には理不尽すぎる理由なこともあるでしょう。

自己愛性人格障害者は自己愛性人格障害があるゆえに

攻撃するのであって、

それ以外の理由はありません、

理由があったところで人を酷く

罵倒してもいい、暴力を振るってもいい

ことにはならないのです。

 

まずは被害者自身がその原点に戻ることが

必要です。

 

被害者はいつまでも譲歩します。

譲歩したほうが楽だからです。

譲歩しないで人を不愉快にさせたり傷つけるよりも

進んで譲るほうを選びます。

その特性が、自己愛性人格障害者の横暴ぶりを

助長させます。

 

もちろん、自己愛性人格障害者は

思い通りにならなければならないほど

余計に憤怒するものですから、

形だけは譲歩する必要があることも

大いにあるでしょう。

 

ですから心では可能な限り無関心になりながら、

形だけは譲歩する・・・という状況で

その場を乗り切ってください。

しかし無関心というのは限界があります。

自己愛性人格障害者というのは徹底的に

被害者を追い込もうとしますから、

被害者がいくら静かに過ごしたくても

騒ぎ立てたりしますから、

 

完全に無関心でいるというのは無理です。

 

しかしそのままだと

やられ損になってしまいますから、

とにかく証拠は残しておくようにしましょう。

ICレコーダーや隠しカメラなどは

バレると大変ですがばれなければ

自己愛性人格障害者対策として大きな意味を持ちます。

 

証拠さえたまれば

そのうち本当に無関心になってくるのも

人間です。

被害者にとっては不愉快すぎる罵倒でしか

ありませんが、

その罵倒も証拠として押さえられると思えば

証拠をためていない場合よりは

悲しんでいるふりをしながら

心の中であざ笑うことが出来ます。

 

また、自己愛性人格障害者に対して

反抗はしないようにしましょう。

反抗というのは、態度であからさまに

「あなたが間違っている」というような

態度をとったり、

直接それを言ったりすることです。

 

かといってヘコヘコしておけばいい、

というのとはまたわけが違います。

本来は、形としても無関心、

というのが一番です。

無視は無関心とは違います。

そんなことをすれば自己愛性人格障害者は

自分への挑戦とみなすでしょう。

「その場を適当にやり過ごす」という

無関心です。

 

このまま騒ぎ続けても、

このままことが収束しても、

どちらでも構わない、という無関心。

それはやはり証拠をリアルタイムで

残しておくことでなされるともいえるのです。

 

無理やり無関心、どうでもいいと考えるだけでは

結局、モラルハラスメントに無意味に耐え続けたり、

いつまでも対策をとれないままでいたりする

ことになります。

 

ですからそういう意味でも

気乗りしない時期から

証拠を残しておくのは必要です。

そもそも被害者は無関心であろうとなんだろうと、

自己愛性人格障害者は気にしません。

 

自己愛性人格障害者自身が、

被害者に対して無関心なのですから。