勝負にこだわる

自己愛性人格障害者というのは

勝負にこだわります。

こだわるというよりも、

なんでもかんでも勝負だと思い込んでいる

節があります。

 

勝敗の相手とは誰か?というと

容易に想像つくと思うのですが

大体は被害者ですね。

世間に対して・・・ということも

あるでしょう。

しかし、そもそも

自己愛性人格障害者というのは

「自分は誰にも負けない」という

意識でいなくては

生きていけません。

それなのに

勝負に拘る、というのは

矛盾している気がしますね。

そもそも勝負に拘らなくても

自己愛性人格障害者にとって

被害者に勝っているのは当たり前だからです。

 

正確に表現すると、

「被害者に勝っていて

当たり前」という状況に

し続けなくてはいけないからです。

自己愛性人格障害者は自分が

非常に弱い生き物だということを

無意識で理解しています。

誰にも勝てないどころか

土俵にすら立っていないのです。

それくらい惨めな人間だと考えています。

同じ土俵に立つには、

誰をも凌駕する力を

兼ね備えていなくては

なりません。

 

その剣とよろいこそが

モラハラや、

偽りの道徳心です。

それらを携えればもう無敵だと

自己愛性人格障害者は考えます。

そして、

手っ取り早いターゲットである

被害者に対して、

勝負を挑んでゆきます。

むしろ自己愛性人格障害者は、

ターゲットこそが自分に勝負を

挑んでいると思っています。

被害者意識が強いからですね。

被害者の一挙手一投足が

気になってしまい、

罠にかけられる前に

つぶしてしまわなければ!と

意気込みます。

被害者はそもそも勝負なんて

する気はなく、落ち着いて生活が

したいだけですから、

自己愛性人格障害者の被害者意識や

喧嘩っ早い面に辟易とします。

 

自己愛性人格障害者は、

最初から自分は誰にも負けない

特別な存在である、と

思い込んでいますが、

正確には思い込み続けるための

作業をしなくてはなりません。

そのためにターゲットに勝てるような

要素、

ターゲットを悪として捉えられる要素を

探し出し、

そこを徹底的についてくるのです。

 

自己愛性人格障害者はその

悪として捉えられる、

相手が自分より劣っている人間だと

いう要素や材料を常に探し回って

かぎつけられるようにしますから、

 

他人が何気なく発した一言を、

揚げ足取りのように突っつき

「こいつは自分に対して挑戦状を

たたきつけてきた!」といわんばかりに

自分がマウントをとろうとします。

 

相手は別に、自己愛性人格障害者と

勝負しようなんて思っていませんから

なぜ自己愛性人格障害者が興奮しているのかも

怒っているのかもわかりませんが、

 

自己愛性人格障害者はただ自分が優位に立ち

正義であると言いたいからこそ

相手の言葉ひとつにいちいち

反応せざるをえないのです。