自己愛性人格障害者の原因

自己愛性人格障害者の原因

自己愛性人格障害者は「人格のすり替え」

を行います。

といっても意図的にやっているわけではありませんから

行うというより自動的にそうなる、と言ったほうが

正しいかもしれません。

 

自己愛性人格障害者もまた、人の人生を搾取して生きる人達の

犠牲になったといえるでしょう。

 

自己愛性人格障害者の「本来の人格」が

追いやられてしまって、自己愛性人格障害者、という

パターン化された無個性の人格に置き換えられるわけですから、

自己愛性人格障害者を憐れむよりも

隠されてしまった人格を不憫に思うことしかできないのですが。

 

それが起きる原因とは、「搾取する人」の存在です。

 

自己愛性人格障害者の親

自己愛性人格障害者の親というのは、

ただの子供が自己愛性人格障害者となるための

大きな理由の一つといえます。

 

自己愛性人格障害とは、

「自分自身として生きることを諦める」ということです。

防衛機制とは自分を守るための心の反応であるだけなのに、

それが人格としてすり替わってしまうのです。

それしか生き延びる術がないということになります。

存在を否定されながら生きている人というのはたくさんいます。

けれども自己愛性人格障害者になる、というのは

その中でも少数の人間です。

 

しかし自己愛性人格障害者も本来は一個人であり、

ただの子供です。

それを本来の人格として生きていけないまでに

追い込んだ存在がいるということです。

そこまでに子供に影響を及ぼせる監護者というのは、

主に親ということになります。

 

自己愛性人格障害者の子供は自己愛性人格障害者に

なりやすいです。

しかし、片親が機能しているかしていないかによっても

大きく変わります。

片親が完全に支配下に置かれていて

機能していない、あるいは家庭や子供に無関心(完全に

逃避している)であると、こどもは支配されるのが

当然の世界しか知らず、結局こどもの心を守るものが

こどもの精神的に生きるシステムである

防衛機制しかなくなってしまいます。

 

そして防衛機制が過剰に働き、人格としてすり替わったときに

自己愛性人格障害者がまた新たに成り立つということです。

 

 

 

自己愛性人格障害者が生み出す連鎖

そうしてまた自己愛性人格障害者がターゲットを見つけ

子供を作り、その子供が・・・となっていくと、

確実に悪循環になっていきます。

自己愛性人格障害者だけではありません。

境界性人格障害者、いわゆるボーダーと言われる

パーソナリティ障害の人達もこどもを犠牲にしやすいです。

こどもを犠牲にするというよりは、どちらも瞬間的に

怒りやすく、怒りや恨みの力というのはすさまじく、

自分をコントロールできなくなります。

 

どちらも自分と他人の境界線が曖昧なぶん、こどもに対しても

自分の手足のように動くべき、逆らうなどとはもってのほかだという

計り知れないほど強いのです。

 

そうやって支配を受けてしまった子供というのは

自分自身を守るためにどうしても心のシステムを

使います。

 

誰かにミスを指摘されても素直に謝罪したりあるいは本当の意味での

正当性を冷静に主張できるということは、

ある意味その人がその人らしく生きることのできる自信、

基盤があるということになります。

 

ところがそういう場面で防衛機制のみが顔を出し、

些細な指摘をされただけでも相手を逆恨みしたり、

指摘をしてきた人のミスのあら捜しをしたり、

その指摘自体がどれだけ問題であるのかを主張しようとしたり、

と「自分はミスなんかするような人間ではない、

他人のミスを作り出そうとする相手こそが

問題なのだ!」といったような思考過程を踏むというのは

自分こそが自分に自信がない証拠なのです。

 

ミスをする人間というのは存在してはならない、

というようなことを監護者から叩き込まれている

(成績が満点でないと罰を受ける、親に不愉快な想いをさせると

ずっと無視されるなど)と、

必ず起こるヒューマンエラーも認められなくなってしまいます。

そうすると、人的過誤さえ一つも起こさない完璧な人間、

という理想の自分を作りだすしかありませんし、

自分の近くの人間にもそれを求めます。

 

それがこどもへ、そしてその子供へと

連鎖していくのです。

 

自我の芽生えの阻害

自己愛性人格障害者でなくとも、

誰であっても自己愛へのこだわりというのは

成長過程で必ず起こりえるものです。

 

幼少期は誰しもが、自分を未熟な形で守ろうとします。

嘘をつき、嘘を本当だと思い込もうとし、

親のせいにし、親を独占しようとします。

 

防衛機制というのも精神的な成熟度によって大きく変わってくる

ことになり、成熟すればするほどより社会に受け入れられやすい

形での自分のストレスの解消法や危機回避の方法を

選ぶことができるようになります。

 

 精神的な成熟度に関わってくるのは、

「共感されること」であり自分が自分でいても良いという

「安心感」でもあります。それは実際親との関わりや

周辺の環境での経験を経てそれらが積みあがってくるのです。

極端に自分を守らなくても、自分は自分であってもいいという

経験がその人を守ってくれるということになります。

 

たとえば一見可愛がられている、熱心に教育されているようでも

その子供自身を認めるような言動は一つもなかったり、

子供自身や個人を見ているというよりも

「いつまでも“自分のこども(親の延長線)”として可愛がっている」、

というだけでも、その子供のアイデンティティというのは

成熟を阻害されるものです。

 

親がこどもは一つの人格であり個人である、

ということを認めることができないと、

子供というのはいつまで経っても自分がただの

親の延長線上にいる子供であり付属品としてしか

扱われないと感じ取り、

成長の過程にて「自我」をより確立させるために

強い反抗期という手段にでます。

 

親からの圧が強いとそれを今まで以上に鬱陶しく感じる、

自分が自分であるために邪魔に感じる、

というのは正常な反応です。

 

そこで親が、自分があまりにも子供に口を出しすぎたとか

距離感を保っていなかったと気が付けばよいのですが、

その自我の芽生えを悪として

押さえつけようとする親がいたり、

より距離を近づけなくてはと無理やり同化しようとします。

 

無自覚に子離れを極端に恐れる親、

というのはその傾向があります。

 

しかしそうなるともう子供は自我の芽生え(自我確立の

挑戦)自体に失敗してしまい、

結局生きていくには他人と同化していくしかないという

ことになり、他人と自分の境界が曖昧で自己の確立していない

自己愛性人格障害者、という形で

生きていくしかなくなります。

 

それは自分は自分のまま生きていく資格を奪われたから、

しかしそのままでは生きづらいから未熟な防衛機制を

たくさん働かせて自分をがんじがらめにして守る、

すなわちモラルハラスメントを行って生きていくという

基盤になるのです。