お世辞を鵜呑みにする

自己愛性人格障害者というのは

お世辞に対して

「これはただの世辞だ」

というような考えはありません。

 

もちろん、敵対している相手からだったら

その世辞を使うことで何を企んでいるのか?

と勘繰ることもありますが、

たいていは鵜呑みにしてしまい、

それが社交辞令だと考える間もないまま

誇大的な自分を満足させるための材料にします。

 

自己愛性人格障害者というのは、

自己愛がすべてであり

自己愛に拘ることがパーソナリティとなって

しまっているわけですから、

世辞というのは「そうだろうそうだろう

やっぱり自分は優秀な尊い人間だろう!」

と誤認識させるための因子でしかないのです。

 

結局自分は尊大な人間である、

ということを認識させるか、もしくは

結局自分はやはり不当な攻撃を受けている

人間である、

という認識のために

「なんだ今の言葉は、自分を馬鹿にしているのか」

とただ言われた世辞を、

自分を馬鹿にしているものとして捉えて

しまうこともあります。

 

自己愛性人格障害者は孤独な人間だから

優しくしましょう、とか褒めてあげましょう、

というアドバイスが間違っているのは、

 

優しくしようとほめようと、

自己愛性人格障害者が作り出した優越コンプレックスの

塊ともいえる

パーソナリティである「自分ほどの資質を持った

人間は他に存在しない!」といったような

かりそめの姿を褒め称えているだけであるので、

 

自己愛性人格障害者が持つ

根本の劣等感にその言葉が届くことはないのです。