自己愛性人格障害者を褒めるのは有効なのか

自己愛性人格障害者の

承認欲求を満たすために

褒める、という手段をとる人がいます。

 

結論から言うと、

自己愛性人格障害者を褒めようと

褒めまいと

自己愛性人格障害自体はどうにもなりません。

褒めることが障害を改善させるとか、

あるいは悪化させるとか、

そういうことはありません。

 

しかし、

「モラルハラスメント」という症状は

悪化させる場合が多いでしょう。

そもそも自己愛性人格障害者の

「承認欲求を満たすために」

褒めるという手法ですが、

自己愛性人格障害者の

「承認欲求」というのは

満たされることはありません。

自己愛性人格障害者は、ターゲットから

褒められたからといって、

ターゲットが本当に自分を認めている・・・

ということを「感じ取る」ことができないのです。

 

被害者が怒っているからといって

その怒りをそのまま受け取ることもできませんし、

被害者が褒めたからといって

その褒める感情をそのまま受け取ることも

できません。

 

自己愛性人格障害者には、

実際に「被害者がどう感じているか」ということを

読み取る能力がないのです。

普通は、

褒め言葉を受ければ

相手の表情や声色で

「自分を実際に褒めてくれているのか」

「ただお世辞を言っているだけなのか」

ということを判断できます。

 

自己愛性人格障害者の場合は、

相手の声色がどうだろうと表情がどうだろうと

「褒めてくれている」と考えたい場合は

そう考えますし、

「世辞を言っているだけ」と考えたい場合・・・

つまり自分をなめている、という

攻撃のきっかけにしたいときは

そう考えます。

 

つまり、

自分のそのときの都合によって

相手がどう思っているかという

認識も変えるのです。

相手が本当はどう思っているか?

という感情については

興味を持てません。

 

「自分」というものがなさすぎるから、

「他人」という存在も曖昧だからです。

自己が曖昧なので、

自己愛性人格障害者の承認欲求というものは

満たされることがありません。

褒められても同様です。

褒められた、というのは

自己愛性人格障害者が作り上げた

「偽の自己像」・・・つまり

自分は尊大であり立派であり、

人から賞賛されるべき存在であるという

存在しない自己像を肥大させるだけで、

自己愛性人格障害者自身が

褒められたと感じることはないのです。

 

ただ自己愛性人格障害者は

自分を褒めてくれる人を

ターゲットにしやすいですから、

最初は褒めてくれるかどうかは

非常に肝心な要素になってくるでしょう。

 

そのあとは、

褒められようとどうだろうと、

自己愛性人格障害者が「自分を褒めるだけの

えらい存在なのかお前は」と

怒りを出したいときは怒りを出しますし、

「それは当たり前だ、自分は賞賛されるべき

人間なのだから」と受け取りたいときは

受け取ります。

被害者がどういう意図で褒めようと、

自己愛性人格障害者にとっては

関係もないし興味もないのです。