言い訳だらけになる

言い訳というのは誰でもします。

なぜなら、自分のプライドを守るため、

自尊心を守るため、

心を守るためいえますね。

 

自己愛性人格障害者の場合、

心がもう崩壊寸前の状態にあると考えると

分かりやすいとは思いますが、

 

その崩壊寸前の心を総動員で

守っているような感じです。

 

総動員とはすなわち、いろいろな防衛機制を働かせて

自分の心を守ろうとするという意味ですね。

 

ですから自己愛性人格障害者は

言い訳だらけになります。

 

しかし、その言い訳を

他人にいつも出すとは限りません。

自分の中にとどめておけばいいだけです。

自分さえ、自分の中で言い訳をして、自分の

心を守れればそれでいいのです。

しかし、自己愛性人格障害者は抑制がききませんから

いちいち我慢しなくていい相手には

その言い訳をやたらとぶつける

こともあります。

 

それこそターゲット、自分の恋人や配偶者だったり

自分の部下であったり・・・ということですね。

 

ですから自己愛性人格障害の被害者には、

「そんなこと自分に言われても・・・」

というような八つ当たりに感じるようなことまで

言い訳される場面も多くあります。

 

たとえば自己愛性人格障害者が大学中退である

学歴をコンプレックスと考えていたとして、

そのコンプレックスを克服するために

社会人になってから大学に入りなおしたとします。

 

しかし自己愛性人格障害者はそもそも

大学を中退したという過去を

自分の中でそのまま強い劣等感として

抱えていることも非常に多いですから、

 

なぜ自分が大学を中退したのか?

というもっともらしい言い訳を

被害者に何度も言うことがあります。

 

それは、

「親が体調を崩して面倒を見ないといけなくなったから」

「友人が精神的におかしくなって

それで勉学どころじゃなくなったから」

「大学でスポーツをがんばっていたのに

怪我をさせられて、もうやる気がなくなったから」

という被害的な訴えが多いでしょう。

しかも、その言い訳を何度も何度も行うのです。

 

被害者は辟易とします。

自分とは関係のない過去の被害を何度も訴えられ、

まるでその人たちのせいで自分が大学を中退したことを

いつまでも恨んでいて、

その恨みは一生消えないといわんばかりに

言い訳し続けるからです。

 

しかもこの言い訳を言うとき、

まるで自己愛性人格障害者は一人ごとのように

ぺらぺらとしゃべり続けます。

 

これは自己愛性人格障害者が自分自身に対して

言っている言い訳であって、

心を守る作業であるだけだからです。

 

自分の過去の失敗は自分のせいではない、

むしろ失敗ですらない、

自分のせいではないから誰かのせいである、

その誰かを執拗に恨んでもいい、

という心の作業です。

 

被害者というのはその作業にただ付き合わされて

要るだけですから。