自己愛性人格障害者に感じる違和感

自己愛性人格障害者からの支配にあう

被害者というのは、

実は自己愛性人格障害者と関わっているうえで

非常に大きな違和感を最初から

感じています。

 

ですから、

「結婚して豹変した」とか

「こどもが出来て豹変した」とか

書いてあることもありますが、

それまでに一応、被害者もあれ?おかしいな?

と感じることは多々あるわけです。

 

しかしその違和感すら、

被害者は魅力的に感じることさえあります。

自己愛性人格障害者自身が個性的な人間だと

被害者は思っているので、

違和感を感じたり考え方が極端すぎるな、

と思うことがあるのは当然だと

被害者の中で修正してしまうからです。

 

これは、

被害者自身の「過剰適応」の

一種でもあります。

 

被害者というのは過剰適応が得意で、

どれだけ自分に酷い状況がふりかかったとしても、

それは「自分の責任」で「こういうことも人生には

当然起こる」からこそ

「自分がどうにか努力しなければ」と

辛い感情よりも自分が修正していけばきっとなんとかなる、

と思い込みやすいのです。

 

思い込みやすいというよりは、

被害者がその方法のほうが手っ取り早い、

自分が責任をとったほうが手っ取り早いという

精神の持ち主であることも起因します。

とにかく争いごとの当事者になったりするのが

苦手だからです。

 

ですから多少理不尽なことを要求されたり、

相手が明らかに間違っているのでは?

という違和感があっても丸め込まれやすいとも

いえます。

 

被害者が不器用に生きていくぶんには

それで問題ないかもしれませんが、

今回の相手は自己愛性人格障害者という

最凶最悪の対戦相手で、

とても正攻法では勝負には勝てません。

 

自分が責任をとればいい、という精神だからこそ

ターゲットにされやすいのですが、

それ自体は自己愛性人格障害者の対策には

何の役にも立ちません。

 

なので被害者というのは違和感があっても、

自分がどうにかすればいい、という

精神で自分の違和感を修正していって、

明らかにおかしな状況になっても

それに慣れてしまっている場合が多いのです。