仕事の能力は高いことが多い

自己愛性人格障害者は、

仕事の能力は高いといえます。

なぜなら自分にふさわしいと

思われるようなエリート職、教職、警察、

社長業など、いわゆる

「上に立つ者」「指導的立場をとるもの」

を選びやすく、

その道に進むための

執念はすさまじいものがあるのです。

 

そういう意味では自己愛性人格障害者は

勤勉ともとれます。

他の人にとって職業が

「目指したいもの」であるのに対して、

自己愛性人格障害者にとっての職業というのは

「自分自身を示す重要なもの」であり、

自分自身でもあります。

ですから

何がなんでも

「えらい立場」でないと気がすみません。

そのための努力は惜しまざるを

得ないのです。

ですが、それでもすべての自己愛性人格障害者が

努力さえすれば自分のなりたい仕事に

就けるわけではありませんから、

そういう場合は

他の仕事をしつつ、目指していた職業を

「無価値化」することで

自分のダメージを避けようとします。

 

あるいは、目指していた仕事に

就いたけれども能力が伴わない場合、

思っていた役職にも就けないような

場合は、

「自分は能力が本来はある」

というような立場をとりやすいです。

つまり「本来は有能なのだが、

邪魔だてが入り本来の能力を発揮できない」

というような立場をとるということです。

邪魔立てというと、

たとえば自分のことを過小評価する上司とか、

自分の思ったとおりの時間帯に連絡してこないような

取引先とか、

組織のまとまりを乱す部下、などですね。

 

そもそもそれをひっくるめて

なおかつ評価されるのが

本当に有能な人なのですが、

それになれない自己愛性人格障害者は、

どうにかして「自分の本当の姿はこうではない」

という立場をとろうとしてしまいます。

自己愛性人格障害者の目的は

「能力を高めること」ではなく

「この人は能力が高いのだと賞賛されること」

ですから、

能力が高かろうとなんだろうと

賞賛されなくては意味が無いのです。

 

他人が自分を賞賛することは義務でも

なんでもないのに、

それを求めてしまうのが

自己愛性人格障害者の性ともいえますね。