自己愛性人格障害者は性格が悪いのか

自己愛性人格障害者は性格が悪いのか?

という質問に関しては、

とにかく多くの被害に遭ってきた人は

性格は悪いと断言するでしょう。

 

ですが、

自己愛性人格障害者というのは

性格が悪いのではなく、

ただの障害です。

もちろん、その障害自体が

自己愛性人格障害者のパーソナリティの

大部分を決めているようなところがありますから、

そういう意味では社会性は非常に低いですし

自分勝手で横暴です。

 

ただ自己愛性人格障害者の性格というのは

誰も知りません。

自己愛性人格障害者自身も正しくは

理解していないでしょう。

正しく理解していないからこそ

自己愛性人格障害になるのですから。

自己愛性人格障害者は、

障害を負う前は非常に強い

劣等感に苛まれます。

自分の性格は醜く、人様にとても

いえるような志もなく、

ミスばかりして、

いつまで経っても完璧でいられない、

という性質である・・・と理解していた

はずです。

 

それは、自己愛性人格障害者自身が

「完璧でなければ」

世に出られない、恥ずかしい、

惨めな人間であると誰かから

徹底的に教え込まれたからですね。

言葉でそういっていなくても

態度でそういう態度をとっていると、

どんどん

自分の性格が悪すぎて、

価値のない人間なのだと思い込んで

いくのです。

 

そうやって追い込まれて

もうこれ以上追い込まれるようなことを

されたくない、と心が判断したときに

自己愛性人格障害者として

また生まれ変わるといっても

過言ではありません。

自己愛性人格障害者は、本来の

自分の性格が醜くて社会に適応できないから、

自己愛性人格障害者として

自分は完璧だと思い込んで生きて

いくしかないのです。

 

ですから自己愛性人格障害者自身の根底には、

「自分の性格は最悪だ」という判断が

あります。

その自分の性格を打ち消すため、

その本来の自分の人格を売り渡して

自己愛性人格障害を人格として置き換えて

生きていくのが、

自己愛性人格障害者です。

ですから本来自分はどういう人間なのか?

ということは自己愛性人格障害者にも

被害者にも本当は分からないのです。

 

自己愛性人格障害者自身が

本当は何が好きで、

何がすばらしいと思うかよりも、

これを好きといったほうが

偉大な自分になれる、

何がすばらしいと思い込んだほうが

自分の得になる、

とそれしか考えないからです。

自己愛性人格障害のために、

本来の自分というのは

ずっと奥底に押し込められ、

すばらしい、偉大で、完璧な自分というものに

支配されてしまいます。

 

ですから自己愛性人格障害者の実態というのは

ただただその場しのぎで自分の思想や好みをころころと

変え、相手への評価値や期待値を変え、

言葉にも態度にも一貫性がなくなる、

本来はそんなぼんやりした性質でしかないのです。