束縛が大好き

自己愛性人格障害者は

「監視」とか「束縛」が大好きです

(大好きというよりは、

監視し束縛しないと切迫感に苛まれるから

そうするだけなのですが)。

 

束縛というのは、

相手の行動を制限するという意味なのですが、

被害者の中には束縛されたいという

人もいます。

しかし大体が、

束縛の実際を知らず、

「束縛してもらえるほど愛されたい」

という意味であるだけだったりします。

 

束縛というのは、

無関心よりもずっといいと

考える人が多いのですね。

 

それだけ独占欲を働かせてくれて、

自分に夢中になってくれている、

というようなことも想像しやすいのかも

知れません。

今ではいろいろな漫画や題材で

束縛がいいように使われ、

適度に束縛して適度に自由に

させてくれるようなキャラクターも

描かれていたりしますから、

束縛というものに対して

あまりマイナスイメージを持っていない人も

いるのかもしれません。

 

ですが、実際の束縛というのは

そんなにかわいいものでは

ありません。

 

特に自己愛性人格障害者の束縛であれば

なお、そうでしょう。

自己愛性人格障害者は、一人でどこかしこ

自由に行動してほしくない、

ということをパートナーに対して

言うことがあります。

それはそこまできつい言い方ではないときもあります。

「一人でどこかに行くなんて寂しい」

「一心同体だから」

「食事も一人で食べるより二人で一緒に

食べるのがおいしいに決まっている」

そういう言葉で表現することも

あるかもしれませんね。

 

しかし被害者が実際に一人で

行動するようだと、

自己愛性人格障害者は非常に不機嫌になり、

被害者を蔑むような言葉を

出したりするでしょう。

「お前、浮気してるんじゃないのか」

「一人の時間がそんなに必要なのか、もしかして

誰かと会っているんじゃないのか」

「自分はこれだけ苦しい思いをしているのに

お前だけ楽しんでいていいな」

「自分は、そうやって他人を差し置いて

自分だけ楽しむような人間は嫌いだ」

そういう言葉に変わってくるかもしれません。

 

そして徐々に、

少しでも一人の時間があると、

すぐに電話がかかるようになり、

被害者の都合も考えることなく、

買い物の時間さえ確保することが出来なくなり、

「何をしているんだ、早く帰ってこい」

「また何かよからぬことを企んでるんじゃないか?

お前はそういう人間だからな」

「今日はここに行きたいから、今すぐに

戻れ、そのくらい察しろ」

「戻ってこないなら警察に連絡するぞ」

というような表現に変化していくことも

あるでしょう。

 

そのうち、束縛にしては度がすぎると

考え始める被害者もいるとは思います。

そのとおりで、

自己愛性人格障害者は束縛しているというよりは

被害者を自分自身だと思っているので、

その自分自身が自由に行動したり

何か自分に対して悪意のあることを

考えているのでは?それを阻止しないと、

という気持ちでいっぱいになるのです。

ですから相手の言動やなにもかもを

把握したがるといえます。

 

そして、自由というものから出来るだけ

離れてほしいのです。

結果、被害者の行動を制限することにも

何の抵抗もなく、

言葉ではいいよといいながら、

行動ではとにかく被害者が自由に少しでも

動きたがるそぶりを見せると

一気に怒り出し、被害者を執拗に攻撃し

非難し追い込みます。

 

自己愛性人格障害者の前では、

一人の人間としての尊厳さえもたせてもらえないのです。