自己愛性人格障害者の治療法とは

自己愛性人格障害者の治療法は、

心理療法(精神療法)が主な手段です。

投薬もあるかとは思いますが、

これらよりは心理療法のほうが効果を発揮するでしょう。

 

そもそも自己愛性人格障害者の気質を治す薬などは

ありませんし、ストレス耐性を高める薬なども存在はしませんから、

必然的に自己愛性人格障害者が内省できるような場面を

作ることが重要になってきます。

 

しかし、それでも薬物療法が併用されるのは、

薬物療法で対症療法のような形をとるだけでも、

たとえばうつ病であるならば不眠の症状を改善させるだけでも

うつ病の経過自体も変わってくるように、

症状を抑えるというのはもともとの原因疾患の改善に

非常に大きな役割を持ちます。

 

 

ところで、精神科のテキストなどではよく、

自己愛性人格障害者や境界性人格障害者は「医療チームを混乱させる」

患者として書かれます。

つまり、ターゲットを操作しようとしますから、

医者や医療チームに挑戦的であったり、

それらのチームを操作しようとするのは必然です。

 

自己愛性人格障害者というのは

どんな場面でも自分が主役であり自分が一番だと思っていますから、

そのステージが職場や家庭から病院に変わっただけで、

ターゲットを操作しようというその特性自体は変わらないわけです。

 

ところで、どのテキストにもそういう書かれ方をし、

どの臨床現場でもそういう通念が存在するということは、

自己愛性人格障害者というのは病院に入院し治療を受けるという

場面においても、

まだモラハラ気質を発揮してしまう状況にある、

つまり自覚がないということになります。

 

ということは、

自己愛性人格障害者が入院したからといって、

その時点で治そうという気はあまりない状態が

大半であるということです。

 

もちろん、自己愛性人格障害者の性質を知っている人であれば、

「自分はこの病院で病気を治すのだ、家族のために!」

と豪語していたとしても、

言っていることがまるで嘘だということは

すぐわかります。

 

自己愛性人格障害者にとっては

その言葉でさえただただ自分に酔うためのセリフであり、

結局のところ「自分は治そうと努力しているが、

薬も効かず、医者も無能で、スタッフもまるで機能して

いないこの病院ではだめだ」

あるいは「そもそも自分は病気などではないのではないか?

ただ自己愛性人格障害などと人格障害者扱いをして、

適当に診断名をつけているだけなのではないか?

やはり、周りのほうがおかしいのだ」

「協力者であるはずの妻(夫)がまるで

協力しようとする意志を見せないから、

自分はもう治す気もない」

 

という言い分に持ち込むのが通常のパターンです。

 

自分に熱心なスタッフを口説こうとする様子さえ

あるでしょう。

それはそれで、モラハラ気質を持つ自己愛性人格障害者の

症状でもあります。

ですから精神科のスタッフというのは

それに個人的な感情を抱かないようにするための工夫、

あるいは個人的な感情を抱いてしまったらそれを

どうにか修正する工夫が必要となってきます。

 

自己愛性人格障害者は他人をコントロールすることなど造作も

ないのですから、

医療スタッフでさえコントロールしてしまい、

だれかを味方につけ医療チームをかき回してしまうことも

よくあることなので、

そういうことにならないように細心の注意が必要なのです。

 

人格障害者はその名の通り、

「人格に障害がある」というよりは

「本来の人格が押し込められている」状態でもあります。

人格を押し込めているのは自分自身なのですが、

さかのぼってみれば人格を押し込めたほうが

自分が生きやすくなることが多かった、という

家庭環境が根本にあることがわかります。

 

つまり自分本来の人格を出すと、

否定されることしかされない、自分の人格などどうでもよく

扱われることが多かった、

ほかの優秀な何かになりかわらなければ

生きてはいけなかったということです。

 

しかし人格を捨てることはできませんから

人格を守ろうとする防衛機能が働き、

いつの間にかその防衛機能が人格になりかわってしまう、

「(人格を守るために)怒りっぽく、被害者意識が強くなり」、

「(人格を守るために)自分は欠点など何一つない、つまりは

すばらしい人間であり」

「(人格を守るために)他人はそれに比べて非道で

非常識な人間である」

という考えと感覚に取り込まれてしまいます。

 

そしてそれに気づく素地を作るということが

治療になるのですが、

上記の通り自己愛性人格障害者というのは

自分を守るためにそういう行動に至るのですから、

それに気づくということはすなわち

その夢から解ける、

自分が盲目的に感じてきたことはすべて

幻であった、

完璧な自分等どこにもいなかった、

というある意味目覚めにたどり着きます。

 

これは、自己愛性人格障害者が何らかの理由で

自分で気づくこともまれにあり、

こういう気づきが得られるということは

自己愛性人格障害者の治療の始まりでもあります。

この始まりを目指すことが何より重要で、

これがないといくら病院で精神療法を受けようとも

あまり意味を為さないことが多いのです。