事実を受け入れられない人達

自己愛性人格障害者に限らず、

事実を捻じ曲げて捉える人達というのは

世の中に多く存在します。

 

ただ、それは異常なことなのではなく、

事実というものは自分の都合のいいように

捉えるのが人の心です。

 

笑い声が聞こえる中で過ごしていると、

幸せに感じる人もいれば

自分への嘲笑であると捉える人もいるでしょう。

 

それは、個人によって笑い声が

「自分と同じで幸せな感情により生まれているものである」

という事実で捉える人もいれば、

「自分を馬鹿にして、あんな風に笑っているのだ」

という事実で捉える人もいるからです。

 

実際どちらなのかは、笑っているその人達自身しか

知りえるものではありません。

本当に楽しくて笑っている人もいれば、

周りが笑っているからとりあえず愛想笑いをしているだけの人も

いるでしょうし、

本当にバカバカしくて笑っている人もいないとはいえません。

真実は知りようもないのです。

 

ところが、あまりにも事実とはかけ離れた

認識をする人が存在します。

なんでも被害的にとらえてしまう人、すなわち

現実に期待すると痛い目を見るから、

自分自身は嫌われているのだと思い込んだほうが楽な人です。

あるいは被害を受けているということにしておいて、

自分の攻撃の名分にしたい人でもあるかもしれません。

 

事実を受け入れられない人というのは実際に

多く存在していて、

そういう人は、社会のあらゆるストレスというものから

逃げないと気が済まない人達です。

あるいは社会そのものを受け入れられないという事例も

あります。

 

社会は悪である。という思想は、

そういう悪からみなを守るのだ、という正義感を持つためだけに

生まれるという事実も存在します。

そのためだけに、社会というものに罪を着せるのです。

本当に社会を悪だと思っているから正義を振りかざすのではなく、

正義を振りかざさなければ生きていけない理由がその個人にあって、

そのためにただ社会を悪とみなすだけです。

 

そして現実を受け入れられない程度が強いほど、

現実からかけ離れた妄想を生みます。

ただ社会が悪なだけではなく、実際にどういう罪を犯していて

自分はどういう被害を被っているか?

ということを妄想の中で生み出していきます。

 

先ほどの例でいえば、「自分が嗤われている気がする」

というだけでなく、

ただ通りすがりの人間の口の端が少し上がっていただけで

「やっぱり、自分を嘲笑っているのだ」と感じるようになったり、

街中の人間が笑いあって会話しているだけで

「自分のうわさをしているのだ」

というような妄想に駆られたりします。

 

それらのことが繰り返されるといよいよ、

現実見当識というものがどんどん失われていき、

妄想の世界・・・・すなわち自分が望んでいる世界しか

見れなくなります。

そうなると現実社会というものや規範、ルールというものは

ただの邪魔者でしかありませんから、

自分の思想や世界を阻害する人間たち、すなわち社会に対して

無差別に攻撃しはじめるきっかけにもなるのです。