被愛妄想

被愛妄想、という言葉があります。

妄想というのはいわゆる「事実として無い」ものを、

まるで「事実として存在する」と確信して

疑わない、

という思考です。

 

誰かにつきまとわれている、

という訴えがあっても

そもそも周りにそんな人間が

うろついているような状況でもなかったり、

 

つきまといを疑うような出来事がなくても

「いいや、つきまとわれている!」

と確信してしまうのは被害妄想といえるでしょう。

 

被愛妄想というのはその名の通り

「愛を受けている」、

すなわち愛されていると確信する妄想です。

 

自己愛性人格障害の場合、

この妄想が顕著になってきます。

 

なぜこのような妄想が起きるかというと、

その方が個人にとって都合がよいからです。

 

自己愛性人格障害者の場合は、

「相手が自分を嫌っているかもしれない」

「相手に嫌われる要素のある自分」

という現実は受け入れがたいものがあります。

 

ですから、被愛妄想というのが生まれるわけです。

「自分は嫌われるはずもない

すなわち愛されるべき人間で、

実際に愛されている」

と盲信していれば、傷つくことはありません。

 

大体が人は万人には愛されないわけで、

それが当然としてあるものですから、

いくら傷つくことが嫌でも、

誰かから嫌われているかも、と考えるのが

普通の人間の思考回路ですが、

そんなことを考えることさえ自分が崩壊

してしまいそうになるほど

負担になるのが

自己愛性人格障害者なのです。

 

ですから

交際相手にどれだけ拒否されても、

接触を禁止されようと、

「そうか、自分のことが嫌いなんだな」

と認識できません。