ためいきの心理

自己愛性人格障害者というのは

よくためいきをつきます。

 

無視、ドアバン(ドアをわざと音を立ててしめること)、

と同頻度くらいにためいきをつくこともよくあります。

 

これらと同列に並べるのは、

自己愛性人格障害者の無視、ドアバンと同様に

これも他者をコントロールしたい気持ちの表れだからです。

 

つまり自己愛性人格障害者のためいきというのは、

「相手をコントロールするための手立て」として

用いられます。

 

無視というのも、あとで

「無視だなんて大げさな。自分はただ

自分のやるべきことに集中していただけだ」

という言い分にもなりますし、

自分は無視という攻撃をしているわけではない、

という名分が立ちます。

 

ドアバンも、

「ただあなたがそうやって自分を悪者にしたいがために

大きい音に聞こえるとか言っているだけ」

という言い分になります。

 

ため息も同様に、

「自分の家なのにため息さえついてはいけないのかここは?」

という逃げ口上が作れるでしょう。

 

この3つは、どれもあからさまな攻撃とは

言えないからです。

自己愛性人格障害者の言い分は間違いではなく、

どんな人も疲れていたらため息をつくでしょうし、

イライラしていたらドアを大きい音を立てて閉めるでしょうし、

仕事に集中していれば他人のことなどに構ってはいられません。

 

この、

「自己愛性人格障害者の言い分は間違ってはいない」

というのがミソで、

 

これだけ聞いていると、

まるでいちいちそういうことに敏感に反応する

人間のほうが被害者意識丸出しで、

自己愛性人格障害者を攻撃者としてのラベリングを

しようとしているだけ、

というように聞こえます。

 

ただ内容としては

あからさまに被害者に聞こえるようにため息を何度も

ついたり、

被害者が話している内容を聞いた後に

まるで理解していないなお前は、といったような感じで

ため息をついたり、

無視・ドアバンと併用したりと

被害者が不安になるのも当然の行動をするのが

自己愛性人格障害者の特徴です。

 

「自分の家なのにため息一つついてはいけないのか?」

というのは言葉だけ聞くと非常にもっともらしい

返し方ですが、

そもそも「ため息一つ」とかそういうレベルではなかったり、

無視が長期にわたっていたり、

自分の言うことを聞くまでいつまでもこの

状態を続けようとするなど、

 

自己愛性人格障害者というのは間違いなく

相手をコントロールするために

ためいきというものを使います。

それは無意識でもあり、ある意味意識的でもあるのですが、

自己愛性人格障害者は意図的であることを

決して認めたりはしないでしょう。

 

意図的であることを認めるときというのは、

まるで被害者がそういう「無視・ため息・ドアバン」を

意に介していないというような態度を

とっているときで、

 

「ため息が多い、無視もやめてほしい」というと

「自分はそんなことはしていない、まるでこっちが悪者みたいに言うな」

「ため息もついてはいけないのか」

と言い、

 

かといって被害者が意に介していない態度をとると、

「こっちがこれだけストレスをためているのに気が付かないのか」

「何度もサインは出しているぞ」と

意図的にやっているということを認めつつ

「あからさまに言っていない、我慢している自分に感謝しろ」

という態度をとります。