死ぬと脅してくる人たち

「もう自分は死にます」

というメールが届いたり、

「もう路頭に迷うしかない…。明日の朝に

なったら自転車で倒れるまでどこか

遠くへ行こうかな、ははは」とわざわざ

被害者に嘯いたり。

 

自己愛性人格障害者の、

「お前がどうにかしなければ、

もう自分の命を捨てるしかない状況だな」

という脅しはたくさんあります。

 

これは自己愛性人格障害者に

限ったことでもありませんが、

「もう死ぬしかないね」

「死ねばいいんでしょ」

というような返し文句をする人は

確かにいます。

 

言われたことをそのままではなく曲解し、

「あなたは私のことを嫌っているから

そんな事を言うんでしょう」

とまで考えてしまったり。

 

「本当に申し訳ない。

生きている意味ないね。

死んだほうがましだよね」

という言葉は、一見心苦しいという

気持ちがあるようにも思いますが、

実際には「こんだけ苦しんでるんだから

許せよ」という脅しにも近いものがあります。

 

つまり、

どうやって償えばいいかわからない、

社会的に受け入れられるような手段を

思い付かなかったりとれない人間というのは

「これだけ責任感を感じています、

これだけ罪悪感を感じています(だから

許してね)」

というアピールのために「死」というものを

安易に使う傾向があるのです。

 

自責の念が強いような人は、

責任感が強いというよりは、

責任感や罪悪感を必要以上に感じる「癖」が

ついているのと同じで、

結局のところ、もっと生産性のある

「償いかた」を知らない、不器用な人とも

いえます。

 

罪悪感を強く感じるかわりに

相手に許しを請うのみで、

どう償うかという企画を考えることを

放棄しているのと同じです。

 

その自責感が強ければ強いほど、

被害者になりきることができ、

それ以上「ふーん、じゃあどう償うの?」

と要求されるのを防ぐ目的があります。

 

そして、そこまでの自責感を植え付けた

相手こそが悪者、という形にしてしまうのです。

しかもやっている自分は気づきません。

これは、自己愛性人格障害者でなくても

起こり得ることであり、

無意識のうちに被害者になりきり、

涙を浮かべ、たいした具体策を提案しないまま

その場を乗り切るなんて人を

見かけることもあるでしょう。

 

その究極の形であるのが

「もう死んで詫びるしかない」

「邪魔物は消えるしかない、どうせ消えたほうがあなたも楽なんでしょう」

「もうお前がいない人生なら意味がない。

死ぬしかないな」

という言葉です。

被害者になりきる必要性のある

自己愛性人格障害者が「死」という言葉を

安易に使うのはここからきています。

 

なんなら言葉だけでなく、

実際に行動でそういうそぶりを見せて

やったほうが効果的ですから、

わざわざ「いまから死にますね」とメールをしたり置き手紙をしたり、

自転車で死ぬまでなにも食べずに旅をする、なんて凝った脅迫の仕方なら自転車を念入りに

磨くようなことを見せつけるかもしれません。

 

 

それらはすべて、

「お前がこっちの思い通りにしなかったら、

自分は死ぬぞ」

という脅迫の形でしかありません。

自己愛性人格障害者や、それ以外のこういう

「死」を安易に使う人というのは、

総じてこういう手段で他人をコントロールしようとします。

 

これで思い通りに動かなくても

別に相手のせいではないですが、

極端に相手のことを助けようとしたり

自分のせいだと思い込む人は

過剰に反応しなくてはならず、

振り回されることでしょう。

 

これでどれだけ他人を振り回すかも、結局

言っている本人自体は気づくことは

ありません。

「自分が死にたいほど辛い思いをしている」

のは他人のせいであり、

その他人に尻拭いをさせるのは

当たり前ではないか?くらいの感覚で

いるからです。

 

むしろ、この死にたい気持ちを

生ませてるのはあなたの愛情が足りないから

なのだから、どうにかしてよ!

それが義務でしょう!

くらいの気持ちでいることも多いでしょう。

 

ただ、自分がどうするかは

すべて自分が決めなくてはならない

ことですから、

「お前がこうしてくれないから

自分は死ぬ」という言葉があったとしても、

それを無視してもそれは無視した人の

責任ではありません。

 

だいたい、自己愛性人格障害者だと

相手を脅迫するための最上級の手段が

「自分の命」であるだけですから、

脅迫することが目的ですから本当に死んでしまっては元も子もありません。

ですから、本当に死ぬことはないと

思っておいて構いません。

万が一行動にうつしても、それを他人の

せいにはできないのですから。

 

それを無理やり引き受ける…つまり、

やたらと自分のせいだと思い込む節がある人は、

そちらにも大きな問題があるといっていいでしょう。

そういう命を引き合いにだして

相手をコントロールしようとする人というのは、「あなた」ではなく「責任を引き受けてくれそうな、

自分ではない誰か」に責任を押し付けたいだけであって、

 

あなたが責任を引き受けなくても

またいつか誰かに責任を押し付けるのですから。

別に、責任をとるのが自分でなければ

誰でもいいわけです。

自分の死の責任さえ他人に押し付けようと

するのですから。