話が噛み合わない自己愛性人格障害者

自己愛性人格障害者と

「論争」をしたり

「話し合い」をしたりすると、

必ず話は噛み合わなくなってきます。

 

話し合いができないとか、

話が平行線を辿ってしまうとか、

そういうレベルではありません。

 

被害者は、

まるで自分の気持ちや訴えたいことが

「そういう事実はない」もののように

扱われたり、

自己愛性人格障害者の視野の狭さを

目の当たりにすることで、

不思議な感覚に陥ります。

 

たとえば両者が怒っていたり

主張があまりにも異なる場合は

話が噛み合わないのは当然のことですし、

そもそも相手の気持ちを理解しようとも

しないでしょう。

 

しかし、人間は無意識に

なんとなく相手の言い分も分かっていたりして、

相手が正しい…と思えば思うほど、余計に

「いや、でも自分だって正しい」という

反発心が働き、どうしても言い争ったり

論点をずらしたりするものなのです。

 

そこには、「でも、相手の言うことも

もっともだ」という心理と、

それを認めてしまえば自分が明らかに

間違っていたことになる、

という心理が同時に働きます。

つまり自分の非はなんとなく理解している

ものの、それを受け入れると今度は自分が

傷つきすぎるために、

 

自分の非は「頭では」認識しつつ、

心では反発し受け入れない、

なんとかして自分の傷を和らげようとする

働きがあるのです。

 

自己愛性人格障害者の場合は、

脆弱性が目立つため心がなんとしてでも防衛しなくてはならないため、

その働きが強すぎるゆえ、「頭では」

自分の非を認識する…というところは

もちろんあるのですが、

知覚の時点で現実をねじ曲げたり、

その結果他の部分さえ歪曲して考えたり、

明らかに現実として考えられない事象を

「それが現実だ」と言い張ったり、

 

被害者の悲しみなどまるでないかのように

扱います。

そのために現実や事実を変えてしまうため、

事実に基づいて訴えようとする被害者と、

自分の認知や都合にあわせて現実や事実を

ねじ曲げることを主とする自己愛性人格障害者の話が噛み合うわけがないのです。