話が長い自己愛性人格障害者

彼、彼女らは特に

話し始めると止まらない傾向にあります。

 

普段から話しが長い、と決まっているわけでは

ありません。

普段は寡黙にみえ話をほとんどしないような

人物でも、

自分の得意分野の話になったり

不平不満をぶちまけるとき、

他人に責任転嫁をしたいときは

べらべらとまくしたてます。

 

自己愛性人格障害者は

一見論理的、合理的な話をしているように

みえますし、内容もそう聞こえます。

 

逆にいうならば、

論理的、合理的に説明が必要な場面で

べらべらと喋りはじめる…という特徴

でもあります。

 

それは結論として、

「ほら、ここまでひとつの分野に対して

論理的に話せるなんてすごいでしょ」

「ほら、客観的に見たって明らかに

周りの人間のほうがおかしいでしょ」

「ほら、どれだけ自分が責任を背負う必要がないか、逆にアナタがどれだけ責任を背負うべきかがこれで証明されたでしょ」

と自己愛性人格障害者が導きたいと思っている

からに他なりません。

 

話が長くなっているうち、

そのロジカル(なように聞こえる)

から外れて、

直接的に結論のみ「いや、お前がだめだ」

「周りがのろますぎる」

「自分ばかり重責を担っている」

ばかりを今度は強調するようにもなってきます。

 

とにかく自分が(の心が)ある程度批判を

繰り返し他人に精一杯責任転嫁を

し続けてある程度「やっぱり自分は

責任を背負わなくてもいいんだ!」

「やっぱり自分のほうが優れているんだ!」

と納得できるまでは、

話が長々と続くと考えたほうがよいでしょう。

 

相手の反応はあまり

関係がありません。ということは、

うんうんとおとなしく聞いていても

的確な答えを被害者が出したとしても、

自己愛性人格障害者の話や攻め口は

短くはならないということです。

 

なぜなら、共感してもらえているとか、

相手がどう思っているか、本当に

自分の話を理解したのかしてないのか、

ということを推測する術もないですし

する気もないですから、

 

自己愛性人格障害者の都合で

「納得したふりだけして、

こいつはちゃんと自分の

聞いていない!」

「愚かだから自分の話が理解できていない!」

という形にしたほうがいいときも

あるからです。