自分自身こそが秩序であり法律であり正義

自己愛性人格障害者の主張というのは、

「どのようにして表現したら

自分が正義であり、相手が悪だということを

知らしめることが出来るか?」

というところでコロコロと変わります。

 

つまり、一貫性はありません。

一貫性のないことを、声を大にして言えるのもまた

自己愛性人格障害者の特徴です。

 

木を見て森を見ず、なところがあるのも

その一つといえるでしょう。

 

自身が一つの存在としてまとまりがないので、

他人に対しても物事に対しても

一部分・・・

自分の自己愛を満たす上で損か?得か?

ということばかり捉えてしまいます。

 

どんな状況でも自分が規律であり、

正しくあらなくてはいけません。

それが自己愛性人格障害者にとっての

「自分」です。

 

ところが、そんな人間はこの世の中には存在しません。

自分がいつでも正しい立場にいることは出来ないからです。

ある側面から見ると間違っていることも

多くあるでしょう。

単純なミスもありますし、

意図的でなくても人を傷つけることもあります。

人間というのはそういう存在です。

 

しかし自己愛性人格障害者というのは

自分が正しくない状況があるというのが

我慢なりません。

 

本当はそこで責任をとって

少しでも謝ればそちらのほうが楽なのですが、

少しでも責任を引き受ける、ということはすなわち

自己愛性人格障害者の存在の否定というものを

意味します。

 

その「少しの責任を引き受ける」心の耐久性がないからこその

人格障害なのですから。

 

ですから、いつでも自分は

責任を引き受けるような立場にはない、

という態度を示しておかなくてはならないのです。