自己愛性人格障害者は演技する

自己愛性人格障害者はあらゆる場面で

演技をします。

演技といえば演技性パーソナリティ障害が

思い浮かぶかもしれませんが、

自己愛性人格障害者も負けず劣らず

演技が多いです。

 

しかし演技性パーソナリティ障害ほど

全般的に演技がかっているとか

演技らしい振る舞い、言動が目立つという

わけではありません。

自己愛性人格障害者の

演技らしい振る舞いというのは場面が

限られています。

それは、自己愛性人格障害者が

「自分こそが被害者である」ということを

切に訴えなくてはならない場面です。

 

どちらも、

自分が演技をしているなどとは

思っていません。

すなわち、人をだますために

演技をしているわけではないということです。

なぜなら演技をしている自分自身も

だまされています。

自己愛性人格障害者が

悲しいな、こんなことまでされて、

と被害的になっているとき、

頭の中はほぼ怒りに支配されていて、

実際に悲しみというものは

あまり表面化しません。

涙を流しているときも情動の涙とは

また異なるので、

「悲しすぎて泣いている」と

自己愛性人格障害者自身は思っていますが、

そうではありません。

自分は悲しいのだ、

と自分自身を騙して泣いています。

 

自分は被害者なのだから

非常に傷つけられた、と

どれだけの被害を受けて

どれだけ傷ついたかを饒舌に話すときも、

「傷ついている」と自分自身を

騙しているだけで、

実際は傷つくと自己愛性人格障害者は

生きていけませんから、

傷はついていないわけです。

そのかわり、傷は怒りに変換されます。

そのため、「これだけ苦しいんだ」

「これだけ悲しいんだ」とアピールする

割りには再び脅迫に転じたり

怒り狂ったりします。

 

自分がどれだけ被害を受けたか?

なぜ被害者といえるのか?

ということに関しては

演説のように大げさに訴えることが

できますから、

余計に演技がかってみえることも

あるでしょう。