「すべて」お前が悪い

自己愛性人格障害者というのは

一部分を相手に背負ってもらう、

という形をとることはありません。

 

被害者には「すべての責任」が伴うのです。

 

自己愛性人格障害者が最終的に決定して

失敗した事柄であっても、

自己愛性人格障害者の同意を得て

行ったものであっても、

被害者は関係なくても、

 

自己愛性人格障害者が不愉快な思いをしたり

重責を担うような場面になるのは

すべては被害者のせいです。

 

そして当然ですが

自己愛性人格障害者自体は、

「すべてお前のせいだ!」とは

なかなか言いません。

 

ただ、態度や言葉で

「こういうこともあったし、

ああいうこともあったから、

自分に責任はないよね

(すなわちすべて君のせいだよね)」

というロジックを作り上げます。

 

 

自己愛性人格障害者の中には、全か無か、

0か100かしかありません。

 

ですから、

自己愛性人格障害者に責任がないということは、

全責任は被害者が担うということでもあり、

その役目を自己愛性人格障害者が少しでも負うことは

自分が間違いを認めているということだ、

という負けのような気分になります。

 

 

ですから一部の責任も背負うことは出来ませんし、

自己愛性人格障害者がもしそれでも動かないと

いけない場合は、

「本来はこいつが背負うべき責任だが、

自分が一部救ってやったということにしよう」

と、自分が動くのは当たり前であるにも関わらず

やけに恩着せがましい形で

仕方なく動くこともあるのです。