自称きれい好きが多い

自己愛性人格障害者は

自分はまめで、きれい好きであるという

ことを自称することが非常に多いです。

整理整頓をきちっとし、

しっかりと物の管理が出来ている・・・

と自分では思っているからです。

 

ただし整理整頓が出来ているか

どうかというのは

はっきりと目に見えてわかることなのですが、

自己愛性人格障害者の場合、

言うほど整理されていない場合が

多いかと思います。

特に自己愛性人格障害者の場合、

ストレスのかかるようなことを

率先してやるのが嫌いであり

避けなくてはならないため、

分別などはやっても、

自分の部屋の整理整頓までは

基本的に出来ていないことが

多々あります。

 

それでも、

自己愛性人格障害者の特徴として

「自分はものすごくきれい好きである」

と主張するところです。

これは、

自己愛性人格障害者が被害者を非難するために、

「お前は整理もきちっとできないのか?

ちゃんと出来ないやつは嫌いだ」

ということを言いたいがために

そう訴えているに過ぎず、

そこで自己愛性人格障害者が

実際に自分の部屋をきれいにしているか?

ということは二の次になってしまいます。

 

自己愛性人格障害者が相手を非難するために

何が材料に出来るか?

ということを探しているときに

「部屋をきれいにしていない」

ということは手っ取り早く非難しやすい

材料になるため、

少し部屋が散らかっているだけでも

「なんだこの散らかりようは!」

と非難できるわけですね。

しかし、相手を非難したいから

「自分はちょっと散らかっているだけでも

嫌な人間なんだ!」

ということを言いたいだけなので、

自己愛性人格障害者が本当に

潔癖だったり整理整頓がきちっとしている

わけではありません。

 

ですから自分の部屋は散らかっているのに

やたらと自分は潔癖だと主張したり、

被害者の部屋が散らかっていることだけに

集中し非難するということが挙げられます。

自分のことは棚に上げてしまうのですね。

ですから非難されているほうは、

「自分だってよほど散らかしているのに・・・」と

不満に思います。

なぜ自分のスペースだけそこまで

散らかっているかのように

言われないといけないのかがわかりません。

そして自己愛性人格障害者は

自分で片付けようとはしません。

自己愛性人格障害者はごみ出しは

自分でやろうとする場合もあります。

外面を保ちたいからです。

 

ごみの分別や家の整理は他人にさせて、

自分はごみ収集場にごみを持っていくだけする、

ということもよくあります。