自己愛性人格障害者の抱える矛盾

矛盾を抱えながら生きていかなくてはならない。

それは、自己愛性人格障害者の宿命です。

 

しかも、その矛盾は第三者からみても

明らかなのにも関わらず、

自己愛性人格障害者というのはその矛盾に

気づくこともありません。

 

自己愛性人格障害者の矛盾の始まりというのは、

「本当は自分のことを惨めで恥の塊で

みっともない」と思っているのに、

それでは生きていけないために

「自分は唯一無二の存在ですばらしく

誰にもマネできない能力を持ち合わせていて

ミス一つしない」

と思い込まなくてはいけないからです。

 

だいたい、そんな人間はこの世に存在していないのですが、

そんな物理的にも精神的にも無理な状況なのにも

関わらず、自己愛性人格障害者は

自分のことをそういう天才だと思い込まなくてはなりません。

 

そのために、

「自分がミスをするのは

他人が足を引っ張るから」

「自分が能力を発揮できないのは、

自分が酷い環境にいてその酷い環境を作り出す

パートナーがいるから」に

他ならない、ということにします。

 

そして自分は誰からも愛されるべき人間であり、

実際そうである、という思い込みの中を

生きなくてはいけないのに、

自分は阻害されていてだからこそ

自分自身の最大限の能力を発揮できない、

という矛盾も抱えているのです。

 

自分は愛されているにも関わらず

邪魔されている、というのは明らかな矛盾です。

ですがその矛盾の中を、時と場合によって

コロコロと立場を変えていくのが

自己愛性人格障害者の特徴です。

 

他人に自分がいかに優しく思いやりのある人間か

を訴えながら、

「でもお前はそんな自分に対して

余計なことしかしないよね」と

思いやりのかけらもない言葉で相手を非難します。

その矛盾にも気がつきません。

 

「自分はきれい好きだから家が汚いのは

絶対に許せない」

といいながら、

それは相手を非難するためだけの言葉であるから、

「お前が片付けるべき」と相手が動くまで

散らかった家でも過ごせます。

 

なんなら、相手が嫌がるように

相手の部屋だけを暴れて散らかすことも

出来ます。

 

そして

離婚するほど辛い思いをしているのだと

訴えるために

「お前とはもう離婚だ」といいながら、

実際に離婚になるとターゲットを失うことになるので

「お前がいないと生きていけないんだ」と

離れられないのが

自己愛性人格障害者の特徴でもあります。

 

そもそも、自己愛性人格障害者というのは

こういう矛盾の中を行ったりきたりして

生活していかなくてはなりません。

 

自己愛性人格障害者は、自分がまったくないのです。

 

ですから、そのときそのときに応じて態度と言葉を

変えて、

自分がそのときにどういう態度をとればいかに得をするか?

自分を守ることが出来るか?

ということしか考えていません。

 

ですから矛盾が生じたとしても、

それは自己愛性人格障害者にとって矛盾ではないわけです。

一貫性がたとえなかったとしても、

自分というものがないので、

そんなことはどうでもいいのですから。

 

その時々に、いかに自分を守るか?ということのほうが

大事なのです。