結局口だけになってしまう自己愛性人格障害者

自己愛性人格障害者はいろんな言葉を口にします。

それは優しさだったり

自分のすばらしさだったり

世の中への挑戦だったりします。

 

けれども、

それは口だけに終わります。

逆に言えば自己愛性人格障害者は

口だけならなんとでも言えるのです。

そしてその口にしたことは

真実だといわんばかりに

正しいと言い張ります。

自分が大きな存在であることも

偉大であることも、

優しいこともです。

 

また、

自分はどんな大きな責任でも

とるとも言います。

責任はとる、と宣言しながら

責任を絶対とらないのも

自己愛性人格障害者の特徴です。

自己愛性人格障害者は

結婚したがります。

結婚しているだけで、

重大な責任をとったとみなされると

思っていますし、

そもそも結婚というのは

ターゲットをつなぎとめる非常に

いい手段です。

 

夫婦であれば、

ずっと一緒にいても

おかしくはありません。

それこそが愛情で、

自分の自由など犠牲にして

相手に尽くすことこそが

結婚である、と言ってしまえば

いくらでもその名目で

相手を束縛することができます。

 

子供を作ることもそうですね。

家族であれば集まるべき、

収束するべき、力を合わせるべき、

協力すべきという名目で

縛ることができます。

 

こどもは特に

弱い生き物ですから、

自己愛性人格障害者にとっては

自分が正しく強い存在であるために

非常に利用しやすい存在です。

ですから自己愛性人格障害者は

結婚したがりますし、

こどもも作りたがります。

そして自分は結婚生活に責任を持っている、

子育てに責任を持っていると

言い張ります。

 

 

 

 

いい夫、尽くす妻、

偉大な父、思いやりにあふれる母の

フリをします。

しかし実際の結婚生活、

実際の子育てというのは

非常にストレスの大きい、

責任をとることの連続である作業ですから、

結局責任をとるというのは

絶対に口だけになってしまいます。

自分はこれからがんばらなくては!

責任が増えるぞ!

という意気込みも、

全部口だけになってしまいます。

 

その決意は、

「邪魔された」

「こんなはずではなかった」

「本当は責任をとるつもりなのに

お前のせいでそんな気すらなくなった、

もうそんな余裕はない」

という言葉に置き換えられ、

責任をとれないのは自分のせいではなく、

お前のせいで環境のせいだといわれることに

なるでしょう。

 

しかし実際に責任がとれなくても、

責任がとれないのは

その環境のせい、相手のせいだというのは

自己愛性人格障害者にとって

真実になりますから、

再び

「責任をとる!」と

言い出すのは必至です。

そして口だけになり責任をとれず責任転嫁し、

再び「責任を取る!」

「これからがんばる!」と奮起し・・・

の繰り返しなのです。

 

ですから決意の言葉だけは

おそらく立派なものでしょう。

そんな責任がとれない人が

大げさなことをいうはずはない、

きっと強い誓いの気持ちで

言葉にしているのだ・・・と

常識的には考えるので、

まさかその誓いの言葉が本当に

口だけだとは誰も気がつきません。

 

自己愛性人格障害者自身も気がついていないのですから。