死にたがる自己愛性人格障害者

自己愛性人格障害者というのは、

いつでも自信満々な言動をしていたり

そういう態度をしていたり

するわけではありません。

 

自分の中の無価値感というのは

根底にあるので、

その奥底にある無価値感に沿って

言動をすることもあります。

自分は生きている意味がないとか、

死んだほうがいいとか、

長生きするつもりはない、とか

そんなところです。

 

それは、

自分が被害的な訴えをするときにも

よく使う手立てだったりするのですが、

半分は自己愛性人格障害者の

本音ともいえます。

 

そもそも自己愛性人格障害者は

一人で死ぬくらいなら

ターゲットを道連れにして

死ぬものですが、

自己愛性人格障害者が

慢性的に「虚無感」を感じているのは

事実です。

生きている実感がまるでないのも

事実でしょう。

 

自己愛性人格障害者は

その場しのぎのストレス回避や

責任回避、

あるいは快楽に逃げるしかないため、

それの連続で生活をしていかなくては

なりません。

それの連続しか出来ないのです。

ですから何のために生きている、

という主目的がまずありませんし、

何のために生きているのかも

正直わからないまま暮らしています。

ですから死にたがる自己愛性人格障害者ですが、

半分は本当に死にたい気分で

いるときもあります。

 

しかし先述したように

自己愛性人格障害者は被害者ぶるために

そういう「もう死にたい気分だ」

と話すことが多いです。

自己愛性人格障害者が

「もう死にたい」とわざわざ言っているということは

それを聞かせている相手に

「お前のせいだぞ」

「死にたいと言っている人間に対して

何もしてやらないのかお前は?」

「お前がこういう気分に

させているんだぞ、早く対策をとって

自分のこの虚しさをどうにかしろ」

ということを言っているのです。

 

実際に自傷行為に近い行為にいたる

自己愛性人格障害者もいます。

たとえば酒を飲んだり薬を乱用して

酩酊状態になり道路に倒れたり、

何度も血が出るほどまで壁を殴ったり、

あまりにも自傷行為が過ぎるようであれば

自己愛性人格障害者よりも

境界性人格障害を疑ったほうがいいかもしれませんが、

そういう人たちもいます。

ですが、たいていは死には至りません。

 

死にたい死にたいといいながら、

本当に死ぬくらいだったら誰かを

道連れにしたい、

自分だけが犠牲になるのは絶対我慢できない、

というのもこの人たちの特徴なのですから。

 

とにかく行動を見せることによって、

自分はこれだけ傷ついているのである、

被害者である、

お前はそれを放っておくのか、

死んでほしくないなら自分の言うとおりにしろ・・・

ということを最終的に言いたいのであって、

何も本当に死にたいわけではないのですから。