罪悪感を感じない

自己愛性人格障害者は罪悪感を

まったくと言っていいほど

感じません。

 

罪悪感を感じているような、

自責感に苛まれているような

そぶりを見せるのは非常に得意です。

しかし実際は罪悪感を感じないから、

いつまででも執拗な攻撃や無視を

繰り返すことができます。

罪悪感を感じないから、

どこまででも酷い人格否定や

冒涜が出来ます。

人の所業とは思えないようなことも

平気でできます。

 

そのことにより、

気まずさや傷などもありません。

 

なぜ自己愛性人格障害者が

罪悪感を感じないのか?

それは、罪悪感を感じてしまうと

心が壊れてしまうからです。

自己愛性人格障害者というのは、

心が壊れないように

完全に防御壁を立てて

攻撃やストレスを跳ね返しているような

状態ですから、

罪悪感なんて感じている

余裕はありません。

その罪悪感という傷が心についた時点で、

自己愛性人格障害者の心は崩壊してしまうと

思っているからです。

 

 

そもそも自己愛性人格障害者が

自己愛性人格障害を患う前は、

死ぬほど罪悪感を味わってきたことも

あるでしょう。

親にそのようにして、

責任転嫁をされ続けた経緯のある

自己愛性人格障害者も少なくは無いはずです。

そのたびに自己愛性人格障害者は

障害を負う前の幼少期、罪悪感に苛まれてきたと考えます。

ところがあまりにも罪悪感や

無価値感を刷り込まれすぎて、

それ以上はもう耐えられなくなってしまった

状態が自己愛性人格障害です。

自己愛性人格障害になると、

心がもうそれ以上ダメージを受けないように

一切の罪悪感や傷を跳ね除けます。

それ以上ダメージを無防備に受け続けていると

とにかく精神的におかしくなってしまうため、

防衛本能が作動し

自己愛性人格障害者を守ろうとするからです。

 

ですから、

自己愛性人格障害者は罪悪感を感じません。

罪悪感というのは、

社会性を高めるために非常に

重要な要素であると指摘する

専門家もいます。

もちろん罪悪感を感じすぎるのは

よくないですが(これは被害者の傾向として

多いですね)、

特に自己愛性人格障害者というのは

罪悪感を感じないために

自分のやってきたことや

今の姿を省みることをしません。

いちいち省みる必要がないからです。

 

なぜなら自己愛性人格障害者というのは

自分のやってきたことを正しいと思い込まなくては

ならないため、

内省というのは「自分は間違っていないか?

そのことで恥をかいていないか?」

と振り返ることになりますから、

自分の正しさを否定することになるのです。

自己愛性人格障害者にとってそれは許されざる

行為ですから、内省は絶対にしません。