罪悪感がなくても生きていける

自責の念に駆られてしまう(自己責任を感じすぎる)

被害者が、自己愛性人格障害者に

学ぶべきことがあります。

 

それは、罪悪感がない人間でも生きてはいけるということです。

もちろん、恥ということを考えれば、それは一種の

「恥さらし」のような感じと思われがちですから

「罪悪感を感じないようにして生きていくなんて

とてもできない」

という人もいるでしょう。

 

物事にはバランスというものが大事で、

当然罪悪感を感じないようにしようと言っても

罪悪感を完全に消すことはできませんが、

被害者気質のある人の場合は

「自己責任感が強すぎる」といったことが問題なのです。

 

モラハラ加害者が起こしているモラハラは、

加害者の問題であって

被害者にはどうすることもありませんしどうする権利も

ありません。

被害者には精神的健康になる権利があるとしても、

それは被害者自身の健康の問題であって、

自己愛性人格障害者にとっては「モラハラすることが

精神的健康につながる」のです。

 

ここでは、被害者はモラハラを受けることで

精神的被害がでる、

自己愛性人格障害者はモラハラをやめるによって

精神的被害がでる、ということになります。

 

被害者はモラハラをモラハラでないと思い込むこと、

すなわち「こうなるのは仕方がない、お前が悪いのだから」

という言葉を信じ込もうとすることによって

自分の罪悪感をより高めていきます。

 

しかしその思考というのは

自己愛性人格障害者が相手でなくても

非常に自分自身を不健康に追い込む要因の一つであり、

もう少しバランスをとって

「自分の責任は自分の責任。自分ではどうしようもない

問題は、周りも抱える責任」

という考え方も一つ重要になります。

そもそも自分が努力すればどうにかなるのだという

単純で自己犠牲的な考え方は、短期的にみれば応急措置には

なるかもしれませんが長期的に考えれば

確実にいつか身を亡ぼすものです。