優しい自己愛性人格障害者

自己愛性人格障害者からの被害に遭っている人が、

必ず被害を受けている事実とともに

口にするのが、

「でも、優しい一面もあるんですよ」

ということです。

 

それを聞いた人たちは、

モラハラを受けているのに

優しいってどういうこと?

と一様に考えます。

 

なぜ被害者は

被害を訴えながら

自己愛性人格障害者の優しさを

伝えようとするのでしょうか。

 

実は自己愛性人格障害者というのは

とにかくまずは人に親切にする傾向にあります。

極端にこまめに相手に意見を聞いたり、

大丈夫だよと声をかけたり

こういうことが心配なんでしょうと

まるでわかりきっているように

言ってきたり。

 

そういうこまめな優しさを見せます。

とにかく親切で、

それは異常なくらいに相手に心配りを

しているように見えます。

 

その優しさにすっかり騙されてしまう

第三者もたくさんいます。

 

そのカラクリは、自己愛性人格障害者は

どれだけ優しい言葉を被害者に

投げかけたとしても、

その優しい言葉通りに行動するつもりが

そもそもなく、言ったことに対する

責任もとれないため、

「実行できないからこそ、優しい言葉だけは

いくらでも投げかけられる」

からです。

 

「大変なことがあったら

いつでも言うんだよ」

という言葉を散々被害者に伝えてきたとしても、

被害者にとって本当に大変なことがあっても

自己愛性人格障害者は一ミリも助けになりません。

言うだけはタダなので、言うのです。

 

そして、暴力を振るったり

暴言を吐いたりしたそのあとに

優しさを見せる場合があります。

自分がこういうことをする(説教など)

のは指導であり、改めてほしいから

なんだよ。

どうでもいい人にそんなことはしない

でしょう。

それだけ愛しているんだよ・・・

という「気分」になるのです。

 

ですから自己愛性人格障害者自身、

愛情だからだ、ただの指導だ躾だ、

といいながら暴言を吐き続けて、

それを過ぎるところっと愛しているという態度に

転じたりします。

 

DVなどで言われる

ハネムーン期というのと同じ現象ですね。

あれは、

自己愛性人格障害者などだと

自分の攻撃がただの嫌がらせや

いじめなのではなく

指導なんだよ、愛情なんだよ、

と自分が思い込まなくてはいけないので、

自己愛性人格障害者自身

「愛している」「優しさ」という態度に

転じやすいのです。

 

被害者というのはその優しさに

ほだされやすく、

ああ、本当に優しさとして

言ってくれているのだ、

自分のためを想って

やってくれているのだと

信じます。

 

それが、自己愛性人格障害者からの

被害の酷さと優しさを

混同させてしまう要因になります。

しかし酷さと優しさというのは

絶対に同居しません。

それはどう考えても

矛盾しているからです。

 

その酷い内容の暴言は

愛情からきているのだという

思い込みは、

それを実際にやってしまっている

自己愛性人格障害者や

それを受けている被害者が相互に

「自分たちの愛情」を信じるのに

必要不可欠なだけであって、

第三者には非常に奇妙な

関係性にも見えてしまいます。

特に被害者というのは

自己愛性人格障害者の見せる優しさに

すがりやすいです。

 

これは自己愛性人格障害者と同じとまでは

いかなくても、

自分に価値が無い、とか劣等感を抱えている

被害者にとって

自分は価値があるのだ、自分も大事にされて

いい人間なのだということを認識するために

自己愛性人格障害者の見せる優しさというものに

期待してしまい、

 

その優しさを信じてしまいやすい

(そのことで自分や優しくされるだけの

価値があり、

モラハラ自体も本当は

自分が期待されているがゆえの行動なのだ、

と信じたい)

のです。

 

ですから自分に価値が無いと

感じてしまいやすい被害者は、

自己愛性人格障害者の見せる優しさに

ひっかかりやすいといえるでしょう。

 

そして自己愛性人格障害者のみせる

優しさというのはもうひとつ、

「優しさで相手をコントロールしたい」

という側面があります。

普通、優しくされたら

それに応えたいという気持ちが

強まりますよね。

道徳心を重要視する人なんか、

優しくされたらその行為を

ほうってはおけないわけです。

 

ですから被害者自身は

優しくされたらこう応えなくては、と

自己愛性人格障害者のコントロールに

ひっかかりやすいともいえます。

優しさとは見返りを求めないはずなのに、

相手の優しさに応えなくては嫌われる、

と勝手に考えてしまいがちだからです。