なぜ自己愛性人格障害者の優しさがしみるのか

自己愛性人格障害者は優しいです。

 

特に声かけはまめにし、

適度に甘えたり

優しい言葉をかけ

愛しているとはっきりと

自信満々に言ってくれることが

多いでしょう。

 

それはまるで異性の理想像であるかのような

優しさであり、

いつでも見守られているような

愛情のように感じます。

 

ではなぜ自己愛性人格障害者は

優しいのか?

というところですが、

自己愛性人格障害者は自分に酔いたいから、

優しい自分や愛を与えられる自分というものを

確認したいから・・・といえるでしょう。

 

しかし暴言や暴力を振るうところは

変わりありません。

しかし、そういう行動をとられても

被害者は

「本当は優しい人」

「優しい部分もある、たまに怒るだけ、

それは自分のせい」

という言い方をします。

 

ということは、

自己愛性人格障害者の優しさが原因なのか?

というよりは、

暴言や暴力を受けてまで、

自己愛性人格障害者の優しさを信じなくては

いけない理由は何か?

という部分に着目しなくてはなりません。

 

そう、それは被害者の部分です。

 

たしかに自己愛性人格障害者はやさしいです。

それは被害者にしか分からない優しさでしょう。

しかし暴言や暴力を受けてもなお、

それが真実の姿ではなく、

優しい部分が真実の姿なのだ、という表現をすることが

非常に多いのです。

 

それは、被害者自身が

自己愛性人格障害者の優しい姿のほうが

真実で、今はこじれてしまっているだけ・・・

と思い込みたい力が働いている。

そして、自己愛性人格障害者の優しさが、

他の人よりもしみる。

本当は愛されていると思い込みたい。

 

ということに尽きると思います。

 

自己愛性人格障害者の優しさというのは、

自信のない、自分というものが同じくあやふやに

なりがちな被害者にとっては、

なくてはならない生きがいのようなものになります。

 

自己愛性人格障害者の優しさがあるからこそ、

被害者本人も自信が生まれるのです。

 

ですから、自己愛性人格障害者の

言葉や態度だけでも

本当に優しく感じることが非常に多いでしょう。

 

しかしそれは被害者が被害者ゆえの独特の感情です。

この感情こそが、モラハラやDVを複雑化させる

要因ともいえます。