良心を持たない自己愛性人格障害者

自己愛性人格障害者には、

良心というものがありません。

良心に基づいた発言をすることは

できます。

 

自分は気遣いの心を持っていて、

いつでも優しい心を引き出すことができる・・・

という態度をとることもできます。

 

しかし、良心がないので、

良心に基づいた行動をすることは

できません。

 

人間というのは

良心を持つのが当たり前ですから、

良心を持たない、といわれても

にわかに信じることもできませんし、

まず良心を持たないということが

想像もできないでしょう。

 

しかし自己愛性人格障害者は

確かに良心を持ちません。

 

良心を持たないからこそ

いつまでも執拗に被害者の人権を無視

することができますし、

酷い言葉を投げつけることができます。

 

被害者の自由を奪うことだってできるのです。

被害者は、ほぼ勝手に

自己愛性人格障害者にも良心があるものだと

勘違いします。

そう思ったほうが

受け入れやすいからです。

 

人は、社会に本当に良心を持たない

人間がいることだと理解したくもありません。

あまりにも、普通の人とはかけ離れた存在だからです。

 

いわゆる、サイコパスという

単語があります。

まさに、良心や罪悪感を持たない人たちですね。

自己愛性人格障害者はまさにそれです。

しかし自己愛性人格障害者がなぜ

サイコパスに見えないかというと、

自己愛性人格障害者自身は

「悪者」にはなりたくないので、

必死にその事実を隠そうとします。

 

そして、自分はいかにも人間味あふれる

優しい、正しい人間だというように

周りに示していくのです。

そういうことを繰り返すので、

サイコパスにはとても見えません。

情緒あふれる人間にみえるのです。

しかしそれは錯覚で、

自己愛性人格障害者には良心はありません。

中身はただのサイコパスです。

 

被害者は自己愛性人格障害者にも

良心があると信じて、

いろんな策をめぐらせます。

こうしたら自己愛性人格障害者が

気づくんじゃないか、

いつかは自分がいかに相手を

傷つけてきたか理解するのではないか、

自分の異常性に気づくのではないか、

いつかは自分に謝罪してくれるのでは

ないか・・・・と。

 

それは被害者の一方的な希望であり、

自己愛性人格障害者が良心を持っていると

信じるがゆえの行動です。

 

ですが、

良心を持つというのは

普通の感覚かもしれませんが

そもそも良心を持っていたら

モラハラなどできません。

 

モラルハラスメントが行われている時点で、

そこには良心というものは存在しないのです。

 

「仕方なく」モラハラを行ってしまう、

などという人間は存在しないことを被害者は

理解しなくてはなりません。

 

自己愛性人格障害者は他人を

他人として尊重することが出来ません。

他人というのは自分にとって

都合の悪い自分を投影し、

攻撃するだけのターゲットに過ぎない

からです。