自己愛性人格障害者に負けたくないなら常識にとらわれるのはやめましょう

自己愛性人格障害者の被害者として

選ばれる人は、

常識やモラルを重んじる人です。

 

ですからタイトルのように、

「自己愛性人格障害者を人間だと思うな」と

考えた時点で罪悪感を感じるでしょうし、

そういうことをまず思えないかもしれません。

 

自己愛性人格障害者にも

常識というものがあり、優しさというものがあり、

人間としての情けがある・・・と。

そういう風に考えている被害者も

いるかもしれませんね。

 

被害者のままでいるなら

そのままでいいかもしれませんが、

被害者から抜け出したいなら

まずこの思考をどうにかしなくては

なりません。

 

被害者というのがなぜモラルや常識を

大事にするかというと、

それしか能がないとまで思っていることが

多いです。

 

つまり被害者自身がモラルを大事にしないと

自分にはそれだけしか価値がないのだから、

モラルや常識を大事にしない(大事にしていないと

判断される)自分なんて

何のとりえもない、何の価値もなくなってしまう・・・

 

と被害者が思いがちだからです。

 

実際それは間違いなのですが、

そういう被害者の思考自体が

「自己愛性人格障害者は人間じゃない」

という考えはだめだ、

それは人として間違っている、なんてことを

思い浮かばせます。

 

けれども自己愛性人格障害者を人間だとか

情があるとか本当は愛にあふれた人だとか

そんなことを考えている時点で、

そのモラルや考えは食い物にされ、

被害者は被害者のままで一生

生きていくしかないでしょう。

 

自己愛性人格障害者は常識のある人間ではありません。

常識はあるのだと述べながら、

非常識なことを繰り返す人たちなのですから、

 

そこに人間の情がどうだとか常識だとか

介入する余地もないのです。