沈黙という攻撃手段

自己愛性人格障害者の

「無視」というのは、受動的な攻撃でもあります。

 

自分が直接的に

何か攻撃となる言葉を相手に発するのではなく、

わざと黙り込み、相手に何かを感じさせる。

 

そういう表現が無視といえます。

「無視している」「沈黙している」という表現であって、

「ただ、黙っているだけ」「別に何も言っていない」

と表現ではないようにもとれるのです。

 

被害者というのはここで考えを巡らせます。

自分はいったい何をしたか?相手は一体何に対して

怒っているのだろうか?

ただ不機嫌なだけであろうか?それとも

やはり自分のせいなのだろうか?

いや、押し黙ることで何かを伝えようとしているのではないか?

もしかして、自分に対してもう言っても無駄だと

思っているのではないか?

 

・・・といった具合です。

無視されることがよくあるといった被害者は、

次にいつどういう攻撃がくるかということを

不安視するようになるでしょう。

 

自己愛性人格障害者は、

重要事を何か話し合わなくてはならないときにこそ

こういう沈黙という手段を使うこともあります。

 

話し合わなくてはならないという場合に

それ自体がストレスになり、

沈黙という手段をとり、相手に何か責任を負わせる。

そしてそれが失敗したら意思決定をした

相手のせいにもできます。

なぜなら、自分は黙っているので意志表明はしていないからです。

 

「無視しないで。いつまでも黙っていないで」

といえば、

「いつでも喋っていろっていうことか」

「自分が真剣に物事を考えていたのに、お前のせいで

考えがめちゃくちゃになった」

と曲解することもあります。

 

沈黙というのは、使い勝手のよい攻撃手段なのです。