0か100かの思考

0か100かの思考、というのは

白黒思考と言われたり二極思考とも呼ばれたりします。

 

 

白黒はっきりするのはいい事なのでは?

と思う人も中にはいるでしょう。

それは、曖昧な物事が許せないといった人に多く、

特に「白黒はっきりさせることで優位性を示したい」

特徴がある人にも多いといえます。

 

0か100かの二極思考になる理由

 

なぜ、0か100かという極端な思考になるのか?という

理由については、

自己愛性人格障害者や境界性人格障害といったような

パーソナリティ障害を孕んでいる場合は、

対象に対する理想化・脱価値化という言葉で

説明がつきます。

 

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相手を素晴らしい人だと妄信している間はいいとして、

自分の期待にそぐわなかったり、

自己愛性人格障害者を手間取らせるようだと一気に

「裏切られた!」

「本当に無能で無価値だ」

というような“なじり”に転じます。

 

自分に対しても、

「ミスをする自分は価値がない」と思い込みますから

とにかくミスだけは認めませんし、

1日の過ごし方に関しても

「完璧な1日の過ごし方でないと受け入れられない」と

思いますから予定外の事が起こると

途端に機嫌が悪くなります。

 

 

 

 

敵か味方か思考にもつながる

白か黒か?という考え方のクセは、

「自分にとって」白か黒か?

という問いでもあります。

 

 

つまり、相手やモノが、

自分を裏切らない絶対的な存在か?

それとも害にしかならない存在か?

というこれもまた両極端な答えを求めてしまうのですね。

 

幼児的に相手を理想化している間は、

「この人物だけは自分にとって素晴らしい相手だ」

と思いますし、

それが少しでも崩れた場合は一気に

「こいつは、他人を平気で裏切る卑劣な人間だ。

こちらを騙して、自分だけいい思いをしようとしている」

というこき下ろしに繋がっていきます。

 

誰かが会議で、

自分ではなく自分の嫌いな人の意見に対して

賛同した場合は、

「こいつも敵なんだな」とみなすこともあります。

 

 

もし政治家が「自分に賛同・投票しないやつはみな敵だ」

と思っていればそれはそれで問題ですが、

自己愛性人格障害者や境界性人格障害者に限っては

そういう極端な考えをすることも不思議ではありません。

 

 

0か100か思考は病気になりやすい

極端な思考というのは、

意外と自己愛性人格障害者にも

自覚があったりします。

 

本人も「自分は極端だから」

「白か、黒しかない」

という傾向にあるのを自覚していたり、

そういう思考を好むことを認知していたりするのです。

 

 

そして、認識しているにも関わらず

その思考はやめることが出来ません。

その極端さは自覚したとしても、

意識してやめようと思っていたとしても

中々やめられないものです。

 

なぜなら、上述の通り

自己愛性人格障害者自身が

「100点の自分」「そうでない自分は無価値だから認めませんよ」

という観念の中で生きているからです。

 

その観念というのは、

ターゲットや社会などの個人から漠然とした対象に至るまで、

あるいは時間、人生、モノ、環境と

ありとあらゆるものに対して反映されます。

 

 

「白か」「黒か」

「グレーはない。ちょっとでも汚されたら、それは黒だ」

というような考え方しかできず、

 

例えばパートナーに対して勝手に浮気疑惑を立てたとしたら、

「そもそも火のないところに煙は立たないというし、

そういう疑惑を抱かせたお前の落ち度であって、

それは浮気しているのと同じだ」

というような極論に至ります。

 

こういう特性を持てば当然の如く

「しんどい」「完璧な自分のはずなのに

幸せじゃない、むしろ人生が苦痛でたまらない」

というような上を見すぎて

泥沼にはまっているような感覚に陥ります。

 

当然の如く、

対象を「敵か味方か」と考えているということは

自分がいつ陥れられるか疑心暗鬼のまま

暮らしていかなくてはなりませんから

ストレス回避自体がどんどんストレスになっていきます。

 

 

そのためいつのまにか精神疾患を引き起こしていたり、

あるいはその精神疾患によりさらに

極端な思考が際立ったり・・・・という事に

なりがちです。

自己愛性パーソナリティ障害者が否定形うつ病を

引き起こしやすい要因ともいえるでしょう。